皆さん、おはようございます
6 時半頃に起きました。現在6時55分
室温6.2度、寒い朝です。
昨日、国道10号から黒川(日木山川沿いを歩き
黒川岬展望近くで、咲き誇る菜の花を
見られました。
8時15 分頃に、自宅を出かけ
淡い太陽の陽射しより、冷たい風が勝寒い
鹿児島県姶良市加治木町を流れる田中橋を
渡っていたら、竹下踏切の警笛なり
田中橋を渡り、下流方向に歩き
網掛鉄橋近くで、8時38分に
網掛鉄橋を渡った上りの列車を見られました。
そのあと、加治木中心街を歩き、諏訪町も歩き
国道沿いに出て、日木山川に架かる橋を渡り
国道沿いを日木山峠の途中まで登り
山陰でまだ寒い、加治木島津家▪能仁寺の
開山和尚義堂和尚の墓を1昨年5月以来訪ね
9時15分頃から9時27分頃まで、ゆっくりと
を見学しました
義堂和尚は、慶長4年(1599) に生まれ、 山城国 (現在の京都府)・宇治の旅僧でしたが、 加治木を訪れた際に、 加治木島津家 初代・忠朗から厚い信任を受け、 当地に留まることになったといわれています。 また、 和尚は加治木島津家の菩提寺となる、 僊島山能仁寺の開山を務めました。
能仁寺は、曹洞宗福昌寺 (鹿児島市) の末寺で、 島津忠朗によって万治2年(1659)
加治木の端山にあった般若寺跡に建てら れましたが、寺地が狭く、また周囲に人家が密集していたため、 寛文10年(1670) に日木山の現在地(国道10号線を挟んで向かい側) に移されました。
20基の能仁寺歴代住職墓群がありますが、 これらは元来別の場所にあった墓石を、 国道10号線の開通工事に伴いまとめたもので、このうち 「開山」 と刻銘された無縫塔が和 尚の墓になります。
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そのあと国道沿いを下り、日木山川に関わり
橋を渡り、日木山川(黒川)沿いを下り
やっとまぶしい太陽の当たる場所で
菜の花を、9時42分に見られました
黒川(日木山川)沿いに咲く菜の花
そのあと、山陰で、冷たい風吹き抜け寒い
桜島と錦江湾を見渡せる黒川岬展望公園に着き
9時51分まで、ペンチに座ったりして
桜島と錦江湾と黒川河口を眺めました
黒川岬(くろかわみさき)
日木山川(黒川)の左岸河口を黒川岬と呼びます。「黒川」の名称は、加治木島津家 ひさなる 六代久徴が黒川の東岸に建てた石碑に刻まれた「黒川記」の碑文の中の一節から起こったと伝えられています。
岬には大小の奇岩が林立し、全面には藍色の錦江湾が広がり、その彼方には桜島が 噴煙をたなびかせている美しい景勝地です。
この付近では天文十八年(一五四九)六月に島津氏と肝付氏との間で「黒川崎合 戦」が行われました。戦の様子を記録した文献史料には、「島津方の伊集院忠朗が兵を 率いて黒川崎に陣取ったところ、敵の肝付兼演も対陣し、両軍の距離は一町(百メー トル余)もなかった。そこへ渋谷や蒲生が肝付氏の加勢にやってきた。そして日々矢 戦があり、鉄砲を発したので、数カ月、人々の耳目を驚かした」とあり、わが国で初め 戦闘で鉄砲が使われた場所といわれています。
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そのあと、まぶしい太陽の陽射しは強くが
冷たい風吹き抜け寒い黒川河口に近い堤防の
上から、10時頃に、桜島と錦江湾と
まぶしい太陽を見られました
そして、堤防通りから階段を降りて
漁船岸壁近くに降りて、ゆっくりと歩き
まぶしい太陽の陽射し強くが
冷たい風吹き抜け寒い、加治木港の
メインバース沿いを歩き
10時22分まで、桜島と錦江湾と加治木港の
メインバースと新バースに停泊する船を
見られました。
さらに上流方向に歩き、日豊本線沿い
国道沿いを歩き、12時過ぎに帰宅しました。
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15時半頃に自宅を出かけ
国道沿いを歩き、左に曲がり、市道沿いを歩き
自治会の回覧板を班のお宅に届け
近くの、太陽の陽ざし届き暖かい
小鳥のさえずり聞こえる加治木町木田地区の
新中公民館の庭をまずね。15時44分頃に
新中の田の神様(たのかんさあ)をゆっくりと
眺めました。
そのあと、国道を渡り加治木団地の市道を歩き
日豊本線沿いの市道沿いを歩いていたら
まぶしい太陽の陽射し強く暖かい
加治木町のソレイユタウン加治木近く
陸橋付近の日豊本線を、16時4分に
走った下りの特急きりしまを見られました
さらに下流方向に、夕陽の陽射しは弱くなり
少し冷たい風吹き抜け寒い網掛川沿いで
16時56分に網掛川とまぶしい夕陽を眺めました
そして、19時前に帰宅しました、
昨日も午前中と夕方、ウォーキングを楽しんだ
日となりました(終)