長野 松本城公園3 | ヒロイズムのブログ

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大天守を出て太鼓門、二の丸御殿跡に向かいます。


城に付随する史跡一つ一つを眺めながら散策するのが楽しいです。

松本城を治めた主な歴代城主(6家)の家紋が市街地、城郭の至る所にあります。


太鼓門 桝形の一の門です。江戸時代は倉庫として使われていました。明治時代に破却されましたが平成11年に復元されました。樹齢400年の檜、梁は140年の松が使用されています。石川氏の時代に完成したと考えられていて門の東側床に石落としが付いています。木の温もりが感じられる美しい門です。

二の丸御殿 江戸時代に藩主の政務や政治の中心地として使われた建物です。1727年の本丸御殿焼失後は幕末まで藩の正庁として機能していました。現在は建物はなく跡地が史跡として整備されています。


敷地は約1900坪、建坪は約600坪、部屋数は約50室。重臣が詰める部屋や書記役の部屋など政治向きの場が奥に設けられていました。


1880年(明治13年)6月25日に明治天皇が行幸されたことを記念する明治天皇駐蹕遺址碑が建てられています。二の丸御殿は明治維新後に県庁等として使われていましたが1876年に全焼してその後跡地には碑が建てられました。

絵図を見ると二の丸御殿がかなり大規模だった事がわかります。


何も残ってはいませんが二の丸御殿があった当時に何があったのかわかるように石造りのプレートが置かれています。

かまど 板石が使われるなど城の公式な食事処として丁寧な構造であったことが分かっています。

味噌部屋 藩の生活や行政を支える約50もの部屋が置かれその北東隅などに食糧である味噌を保管・管理するための独立した味噌部屋が存在していました。味噌は保存食なので戦い、籠城の際には必須ですね。それにしても独立した味噌部屋があったなんて驚きです。


二の丸御殿跡に今は大きな木があります。時の流れを感じます。

城郭の御殿とは城主の住居と藩政を行う政庁を兼ねた中心的な建物です。天守が権力の象徴や見張り台であったのに対し御殿は実際の政治や生活の舞台として使われました。松本城の二の丸御殿は何が建っていたのかわかるように石造りのプレートが置かれていました。当時の姿を見てみたいです。

二の丸裏御門橋 松本城に現存する濠の北東部にかかる橋です。二の丸と三の丸を結ぶ橋として江戸時代から存在したようです。埋橋のようにお洒落な橋ではありませんが二の丸と三の丸を結ぶ重要な橋。


内堀と同様に外堀も幅が広く守りが堅かった事が想像できます。

松本神社に向かいます。