赤井です。
いつもブログを訪問してくださり、ありがとうございます。
何年か前のお話。
雑貨小売りでのお仕事で、朝は開店準備に商品を店頭に並べるのですがその際に、店頭の商品を手直しします。
仕事の担当割り振りは、前日に店長が作った1日の進行表にのっとって進めていくのですが、朝の清掃担当はこの店頭商品の手直しもします。
店頭に商品を並べる際、什器を動かすとどうしても商品が倒れたりと陳列が乱れたりするので、清掃と一緒に手直しもします。
その日、自分が担当で進行表では1時間で割り振られていたのですが、思ったより早く終わったため前倒しで次の仕事に取り掛かっていました。
すると、店長が「もう終わったの?」と声をかけたので、終了し、前倒しで次の仕事に取り掛かっていることを伝えると、店頭の商品を見に行きました。
その後、「全然終わってないじゃん!」と注意をされました。
なんでかな?と思うと、店頭に出ていた商品は外のちりやほこりで汚れやすいため、手直ししつつ、はたきなどでキレイにしてほしいとのことでした。
その時、店長からなぜ清掃を1時間に振ったかというと1時間しっかりと時間をかけて作業してほしいからそうしたのだから、そこまで意味を汲み取ってほしいと言われました。
考えてもみれば自分も台本を貰った時、台本を読んで演出家の意図を汲み取って演じなければならないので、これは恥ずかしいことだ、と思いました。
これは、その日まで仕事を軽く考えていた自分への戒めとして胸に刻んだエピソードです。
普段何気なく過ごしている中、当たり前のように存在するすべてに言えることです。
意味のないものなんて無いのです。
上述の仕事の話もそうですが、1冊の本、1本の映画、にも作家や監督のメッセージが込められています。
普段あなたがなんとなく観ているYouTubeの動画一本にもチャンネル主の意思があります。
あなたが今手に持っているスマホにだって作り手の意思が込められています。
あなたの着ている服、履いている靴、住む家、全てに誰かの意思があります。
それら「人」が作ったあらゆるものに、たとえどんなに小さなものでも意志が込められています。
では、人が作ったものでそれだけの意思があるのなら、野に咲く花、流れる川、空を漂う雲、生い茂る木にも意思があります。
いったい誰の意思か?人が作ったものに人の意思があるのなら、それらの大本の存在の意思です。
大本の存在、「地球」です。
なぜ花が咲き、川が流れ、雲が漂い、木々が生い茂るのか、と考えると地球にはそうしなければならない地球さんなりの理由があるのです。
それがなぜか、を語るのは自然に詳しい人に任せるとして…(笑)
なら、その地球に生まれた「わたし」に意味がないと言えるのでしょうか?
アンパンマンのマーチ「何のために生まれて 何をして生きるのか」と歌詞で投げかけられている通り、当然「わたし」にも生まれた意味があるのです。
その意味は個人個人で違っていて理由は様々だと思います。
過去に偉人たちはその生き方をもって理由を示してきました。
坂本龍馬が日本人に新しい生き方を示し、リンカーンが自由な生き方を示し、イエスが愛することを示したように、それぞれに生まれたことには意味があったと思います。
今、自分がいる「真怪魚」は「愛」を伝える劇団です。
なら、その中にいる自分は…。
今は少なくとも、自分も真怪魚で愛を伝えるために芝居をしているのなら、そのために生まれたのだと思うし、それが今の僕にとっての真実です。
そう思っている今、日々演劇に励み、真怪魚の伝える「愛」を伝えられる存在であるべく、演技に励んでいきたいと思います。
Short Drama『告白』
『劇団真怪魚〜2020年度研究生募集』
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