皆さまこんにちは、竜宮 いかです!


突然ですが、劇団真怪魚の入門者は映画鑑賞が課題のひとつにあります。


そして読み終わった後に感想文を座長に提出することとなっております。


今回は私が鑑賞した黒澤明監督の『生きる』の感想文をこちらのブログにも投稿させていただきたいと思います。


拙い文章での感想文ですので読みにくく感じるかと思われますがご容赦くださいませ。

以下 感想文となります。↓


生きるを鑑賞して
                                                              竜宮 いか


生きるって何なのか。


自分にとって生きていると実感できる時はどんな時なのか。


結局のところ人は還るところは同じなのになぜこうも人生が同じ人何ていないのか、何のために人は生きているのか。


改めて生と向き合わされた作品だった。


ナレーションが今作では間々に挟まりまるで他人事の人生のように語られる。


しかし映像では志村 喬演じる渡辺勘治にとても感情移入してしまい他人事に感じられなく、不思議と内心なぜか焦燥していた。


むしろこんなにも一人の人間の壮絶な人生をまざまざと見せつけられているのに、途中で語られる言葉がまるで劇中に出てくる役所の上司たちのように冷たく感じられ、時にはゾッと感じてしまった。


そもそもあのナレーションは誰からの目線で私たちに投げかけてきていた疑問に感じた。


なぜあんな少し渡辺を刺すような、皮肉ったような言葉選びなのか少し気になった。


ただただ淡々と何のために働いているのか、生きているのか漠然としながら日々を過ごしていく渡辺。


そのたびにゆっくりと時間をかけてどんどんと心が擦り減り生きているのにまるで死んでいるかのような時間を過ごす渡辺。


波風たてず、自分を押し殺してまで何もしないを貫くことが正しい事なのか?
そんな疑問を投げかけられているように感じた。


ふと最近見たドラマや学生のインタビュー動画の言葉が頭によぎった。


楽して生きたい」、「将来の夢とかはない、ただ普通に公務員になって安定した人生を過ごしたい


これが一様に間違っているとは言わない。


しかし私はこの『生きる』を鑑賞して思った。


それはまるでこの映画に出てくる役所の人たちのようではないか、と。


楽したい、安定して生きたい、そんな考えの人が社会に出て仕事をするようになった時、今この画面に映っている役所の人たちのような人間になるのではないだろうか。


自分のできる範囲はここまでだから、と勝手に限界を決めつけそこから超えてしまった事には我関せず、あとは誰かがやってくれるだろう。


そんな人になってしまわないだろうか。


むしろ今の自分は既にその考え方寄りに生きていないかと不安に感じられた。


そしてもしそう考えて日々を過ごしてしまっていたとしたら本当にそのような生き方でたった一度しかない自分の生涯を過ごしてしまっていいのだろうかと思った。


最期の自分はそれでいい人生だったと納得し満足して喜んで終えられるのか、自分が居なくなった後そこに残された人たちに自分が生きた意味を何か残せているのかと考えさせられたし気づかされた。


そう思うと今私はこの作品に出会えて本当によかったと心から思った。


人は自分の死と直面した時どうなるのか。


直面した人物はどんな行動や思考をするのか、その一部分を体験したような感覚だった。


自分が死ぬんだと分かった瞬間体の全身が脱力し目も虚ろになり脱け殻のようになる。


そしてあんなにもうるさく鳴り響く車や雑踏も耳に入らないくらい静かな空間に放り投げ出されたような空虚さ、どんなに愛し大事にした家族でも、こんなに近い距離にいても結局は自分ではないから全てを理解してくれているわけでもない。


そんな孤独感も渡辺からは感じられ、息子の光男の名を何度も何度も消え入るように声に出していたシーンはあまりの切なさに涙が自然とこぼれ落ちていた。


そして死という存在を乗り越えるにはやはり生という存在しかないのだろうと感じた。


また生を知るには死を知るしかないということも感じた。


どれだけの人が自分の生にちゃんと向き合って生きているだろうか。


本気でやる気を出して取り組もうとしてもそれを最後まで貫き通すにはそれ相応の覚悟をしていかねば出来ない。


必ず生きていくなかで恐怖は訪れるし回避できない存在だ。


そして人は恐怖に負けてしまいそうになる。


そしてここで負けてしまうと人は本気で生きることを止めてしまう。


生きるということには必ず苦しみも伴う。


それは避けられないことだ。


その苦しみを理解し恐怖も認め乗り越えない限りはきっと本気で生きることなど出来ないだろう。


もうこのまま生きてしまっていいと諦めてしまう。


最悪の場合死を選び死を乗り越えられず生涯を終えてしまう人もいる。


苦しみや恐怖の延長線上にある最大の存在は死だと私は思う。


本当の生を知るには死を知り、向き合わなければ人は本当の生きる意味を理解することは出来ないのだろうと思う。


そして漠然と生きるのではなく何をして生きたいのか自分の中で明確にすることで人は本気になって打ち込めるのではないだろうか。


とよに出会い生きる意味を見つけた後の渡辺の表情は本当に生き生きとしていて目も輝きまるで生まれたてのような純真さすらもみえた。


本当に心からこの世の全てを受け入れて視野に入れひとつひとつ大事に体験していたようだった。


それでも渡辺が心から楽しんで喜んで生きることが出来たのかわからないまま場面は変わってしまった。


しかしそんな心の寂しさを消し去ってくれるような後半の演出が新鮮でそして渡辺の行動が救われたようにも思えた。


生きることに絶望する前に本当にもう自分が生きることで何か出来ることはないのか、したいことはないのか、これまでの人生を見つめ直しこれからどうするべきなのかをよく考えなければならないと目を覚まさせてくれた映画だった。


以上が私が提出した感想文の内容となります。



長くなりましたが、今回はここまでとなります。
最後まで読んで下さりありがとうございました!


それではまた次の記事でお会いしましょう。


竜宮 いかでした!


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-劇団制作-

Short Drama『告白』

 
【解説】
創設13年目を迎えた劇団 真怪魚は、公演活動以外にも映画制作を目標に掲げています。本編はその準備に向けて、試験的に撮影、編集された作品です。
 
 
劇団 真怪魚座長の真崎 明(総監督)が、稽古用として執筆したエチュードを、映像用にシナリオ化して、副座長のねこまたぐりんが演出、撮影編集は河辺林太郎が担当しました。
 
 
出演は赤井ちあき、竜宮いか です。
 
 
本編『告白』は連続ショートドラマになっています。予想を超える展開で綴られてゆくドラマに、きっと あなたも魅了されるに違いありません。
 
 
※撮影は、コロナウィルスによる緊急事態宣言より前の2020年3月25日までに終了しております。(尚、続編の撮影はコロナウィルスの影響により、6月以降を予定しております)
 
 
上映時間 5分50秒
 

 
 
 
 
〜【特番】〜
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