おはようございます。
9月19日(金)の朝を迎えました。
毎日テレビで世界陸上を観ています。
懐かしの国立競技場が映っています。
初めて国立競技場で走ったのは1983年のこと。
舞台は全日本学生陸上でした。
何も知らずに行ったら、ウォーミングアップエリアの形態が、経験したことがない形状でした。
いざ、レースの時間になり、トラックに入ったら、スタンドがやたら大きく、トラックがやたら小さく見える錯覚が起こり、その時点で競技が終わってしまったも同然となりました。男子110メートルハードル予選で、8名中5位に終わり、準決勝にも進めませんでした。
その結果から、さらに練習を積み、翌年も全日本学生陸上に出場しましたが、今度はスタート直後に隣の選手と腕が絡む不利を受け、またしても予選敗退でした。
関西学生陸上チャンピオンのskyblueでしたが、全国の壁に跳ね返されました。
そこで、大学を卒業し、学生陸上は終わりました。
それが悔しくて、1985年からは全日本実業団陸上に出場しました。
しかし、その年は試合直前に足を負傷して、試合には出たものの、全力は出せずにまたしても敗退しました。
でも、そこからが本番でした。直後から一年計画を立てて、怪我なく練習を積みつつ試合に出続けて、1986年の全日本実業団陸上への出場権を確保しつつプランを実行し、いよいよ秋の全日本実業団陸上本番を迎えました。
ラッキーだったのが、地元京都開催だったことでした。
知り尽くした西京極運動公園陸上競技場。
今度はプラン通りに予選・準決勝を2位通過して、ついに決勝の舞台に駒を進めました。
決勝では5位入賞に終わりましたが、それもそのはず、優勝は1984年のロサンゼルスオリンピックに出場した日本一の選手でした。
それでも、1985年までのことを思えば、奇跡のような出来事でした。
だからと言って、オリンピックや世界陸上に出られたわけではありませんが、諦めずに努力を重ねていけば、ある程度のことはできるんだということを学びました。
これはとても大きな学びで、その後の人生に活きています。
昨夜の国立競技場。
以前とは異なり、とても綺麗になっています。
いい光景ですが、ご覧いただきたいのは、背景になっているスタンドの雄大さです。本当に大きいんです。
40年前と今とでは、トラックの素材が全く違い、それに対応したスパイクの構造、本質的な疾走姿勢も大きく異なるため、一概に記録を比較するのもどうかとは思いますが、40年前とは比較にならないほど盛り上がっていますね。いいことです😊
今日もいい試合が見られますように
では、また明日
日々感謝 skyblue
追伸
当時のskyblueです。(笑)