スピリチュアル帝王学

NAOKOです。

 

 

 

 

 

爆発的な実現力のためには

「本物の本音」でいく

 

 

が、前回でした。

 

 

「本音」を出した方が

うまくいくにも関わらず

なぜ「本音」を隠してしまうのか?

 

 

ワタシの場合

 

 

 

「精神性の高さ」を大事していたので

どこか「本音」は動物的なもの

 

 

 

「本音」は

荒々しく

そやであり

なんとなく下等な感じがしてました。

 

 

 

生き残る本能を

どこか否定してたんです。

 

 

 

それだけでなく

父親、母親が

動物的本音丸出しな感じで

 

 

 

親の本音に応えることが

わたしの役割で

その役割がすごく嫌でした。

 

 

 

子供としては

子供の夢を助けるのが親の役割って

おもってたのですが

 

 

その逆で

 

ウチの場合

親の夢を叶えるのが

子供の役割になってましたから

 

 

この段階で

もうありのままではいられない。

 

 

言葉をかえると

わたしは「本音」で生きられない。

 

 

こんなふうに

親の本音に振り回されてたので

 

 

「本音」が嫌いなり

 

 

「本音」は人を振り回す

 

 

わたしにとっては

「本音」は人の迷惑になる。

 

 

そして「本音」丸出しの人は

人を困らせるこまったちゃん

 

 

 

そんな「本音」丸出しの大人に

なりたくない。

 

 

 

そう思って育ってきました。

 

 

 

しかしですよ!!

いきなり飛躍しちゃいますけど

 

 

 

わんちゃん

ねこちゃん

みてください。

 

 

 

「本音」のみ

 

 

 

「本音」で生きる

わんちゃん、ねこちゃん

って可愛くないですか?

 

 

 

フォルムだけでなく

存在だけで

愛くるしいです。

 

 

 

そして

しかかたで

たくましいですよね。

 

 

 

ご主人さまが

忙しくて、ご飯をわすれたり

散歩をわすれてしまっていたら

(そんな人いませんが。。)

 

 

 

黙って大人しくして我慢している

わんちゃん

ねこちゃん

つていないですよね。

 

 

わたしのこと

忘れないで!!!と

めちゃくちゃ

アピールするじゃないですか。

 

 

 

「本音」でご主人様に

体当たりしてきて

生きる強さを感じさせてくれます。

 

 

 

これって汚くも醜くもなく

生きる生命力そのものです。

 

 

 

いやむしろ美しい!!

 

 

 

こんなすごいものを

 

わたしは長年

間違った思い込みをしてきて

否定してきたんだ

 

 

と気づいたんです。

 

 

 

わあー!!!

何やってたんだ〜

崩れ落ちそうです。

 

 

 

いや

崩れました。。。

 

 

 

 

しかし「本音」には

矛盾がいっぱい。

 

 

 

「本音」を言えないとどうなるの?

 

 

 

それは次回に!