湯ヶ島の象徴、名瀑「浄蓮の滝」

 

 

こんにちは。

 

 

「ウサギおいしかの山、小鮒釣りしか

のかわ・・・」

まさにこの光景がわがふるさとである。

今も変わらぬ光景があるのだが・・・

 

 

「こころざしをはたして、いつの日にか

かえらん」はついに果せない。

ふるさとの景色は変わらないが、他は

ガラリと変わってしまったから。

 

 

18歳で上京して、帰ることはあっても

もはや住むことはない。帰っても両親

兄弟は他界し、友は各地に散った。

 

 

如何ともし難い。終の地を決めること

しか残っていない。ふるさとは記憶の

中で存続する「思い」であろうか。

 

 

田舎には戦火は及ばなかったが父は

2度も出征し家におらず、男手は祖父

のみであった。

 

 

夕食で2歳ほどの私を抱いて晩酌を

するのが楽しみだったらしく、幼い記

憶に残っている。

 

 

だが多分私の2,3歳のとき急性の膵

臓炎?で亡くなった。

悪いことはかさなる、実家が隣家のも

らい火で半焼した。

 

 

弱り目に祟り目、残った女手2人で出

来ることは農作業だけだったと思う。

 

 

戦時中で自給自足の経済だった。父

は2度も応召され、家にいた男手は

祖父だが、その祖父も急逝し、家が

焼かれよく耐えたと思う。

 

 

叔父は病で働き手にはならなかった。

女2人、病人1人、幼児2人。どんな

にか大変だったろう。

家族を引っ張った祖母には感謝しか

ない。

 

 

実家敷地には小川が流れ水車小屋

があった。

もっとも今は敷地自体も縮小し水車

小屋もとうに撤去されている。

 

 

太平洋戦争のさなかではあったが家

の土地の中を小川が流れ風車がカ

タコトと回わっていた(米つき用です)

 

 

今ではアニメの世界でしか存在しない

ような風景があった。写真が残ってい

ないのが残念だ。

 

 

水車の構造は上掛水車というらしい。

記憶は薄れあまり正確でないが、い

まとなって気になるのである。

 

 

崖の上の小川から横羽に水を落とし

いれ水の重みで水車が回転して心

棒を回す。

 

 

心棒は小屋の中の杵につながって

いて、杵(米つき棒)が玄米を突く仕

組みだった。餅つきが似ている。小

屋は粗末な掘立小屋でした。

 

 

じつに簡単な構造だが24時間休ま

ないので人間の作業より何倍も速い。

 

 

大きな風車を巾70センチ、深さ20セ

ンチ足らずの小川が回すのだ。水の

パワーの凄いこと。

 

 

ネットに載っていた構造がそうなのか

な。

 

 

 

水車小屋のイメージ

 

水車は左側だったが、小屋は富士山

をバックにしていた。

家の山側には山脈ぞいに富士山が

見えた。このイラストは近い。

 

 

小屋の方向は逆だったが(水車が左側)。

この風景を居間から眺めることができた

のだから贅沢だった。

 

 

 

 

小川は他家の屋敷内を通って外の道路

に流れ込んでいた。

人の屋敷を通すのでなく、小川が流れて

いるところに、後から屋敷ができたのだ

ろうな、きっと。

 

 

小川は今もあるが暗渠になっていて本

流の暗渠に合流している。流れこむ先は

狩野川の支流長野川だ。

 

 

屋敷には犬、猫、サル、鶏、ウサギなど

にメジロまで飼っていた(当時は飼えた)

もっとも犬・猫・サル以外は食料だった。

 

 

雉がいれば桃太郎なんちゃって、笑。

5歳未満の私と弟、どうみても桃太郎に

はなりえない、笑。

 

 

農作物は梅、柿、栗、ザクロ、トウモロコ

シ、さつまいもなどを栽培していた.。戦

時のための自給自足体制だった。

 

 

小学校では足が悪いので当然のごとく

虐められた。慰めは絵だった。

教頭先生の指導で一畳大の水彩画を

描いた。県の展覧会入選したとはね。

 

 

もう廃校になっているが学校の玄関先

に長年飾っていてくれたそうだ。有難い

ね。

 

 

子供時代はいまだ夢の中に出てくる。

怖~い夢だ・・・。

猪に追いかけられる。逃げる、追い付

かれ・・・

 

 

危機一髪で目が覚める。実際本物も

天城山中に生息するので怖いわけで

す。

 

 

夢に見る理由はいまだ不明だ。わが

実家の周りはド田舎だがさすがにイノ

シシは出没しない。

 

 

今思うに小学校時代のいじめかな。い

じめっ子がイノシシだったりして。

(まさかゲラゲラ!!

 

 

今の私の心境は室生犀星の「ふるさと

は遠くにありて思うもの」、まさにそれ。

 

 

いわば永遠の旅人、そんなきれいごと

でもないが、2013年以降歌の世界に

生きている。

 

 

でもここ1年歌も奪われている。まさか

人生の後半でパンデミックに出会うと

は思わなかった。

 

 

気を取り直そう。

 

 

「ふるさと」は誰でも歌う。そんな歌聞き

たくない、歌いたくないという人はまず

いないだろう。

 

 

「ふるさとの四季」の動画です。

珍しいオケ伴奏つきです。わが団も弦

楽つきで歌いましたが、ピアノ伴奏とは

また違う趣です。

 

 

わが団の動画はないのでお借りしました。

 

前半

 

 

後半

 

 

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