こんにちは。

 

 

今日は歌を離れて日本の誇る作曲

家の滝廉太郎のエピソードを紹介し

ようと思う。

 

 

日本人で、おそらく最初のピアノ作品

である曲を作曲したのはご存じだろう

か。彼が作曲したのは僅か2曲である。

 

 

歌曲が有名すぎて、あまり知られてい

ないかも。ドイツ留学をして、これから

という時、不治の病に倒れ,23歳で

早逝した天才作曲家である。

 

 

滝廉太郎、1879年生まれ、1894年、

芸大の前身の東京音楽学校に入学し

た。そのとき15歳であった。

 

 

1898年に本科を首席卒業、翌年東

京音楽学校の嘱託教師となる。作曲

とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ば

していったという。

 

 

それと、彼の曲に大きな影響を与えた

のは、東京麹町の博愛教会でオルガ

ン奏者を務めたことだろう。西洋音楽

の真髄を一杯吸収したことと思う。

 

 

それまで日本の唱歌は外国の曲に日

本歌詞をはめ込んだ翻訳唱歌だった。

彼は日本人の詩に日本人の曲を付け

ることを目指したのである。

 

 

1896年から作曲をはじめ、1903年

病に倒れ23歳で早逝するまで、34曲

を作曲した。それは発表作品、実際

には未発表曲もあったという。

 

 

当時は不治の病で感染症である肺結

核のために死後多数の作品が焼却さ

れたそうだ。惜しくてならない。

 

 

作曲のジャンルは、独唱、重唱、混声

合唱、無伴奏曲、編曲と幅広いが歌

曲の範囲にとどまっていた。

 

 

ピアノ曲は2曲と少ないが1900年に

メヌエット、1903年に憾みを作曲して

いる。憾みが遺作となった。

 

 

1901年5月いよいよドイツ留学、か

のライプツイヒ音楽院に入学するまで

は希望に満ち溢れていたに違いない。

 

 

だが5か月後の11月に肺結核を患っ

てしまう。1902年10月帰国、故郷大

分で療養するも1903年6月に世を去

ってしまった。あっという間だった。

 

 

ドイツ留学で器楽曲を日本にもってこ

ようとする強い意志があったと思う。

さぞ無念だったろうな。自分の不甲斐

なさを責めたと思うなと思う。それが

憾みという強烈な言葉になったのだ。

 

 

憾みとは、怨恨の意味もあるが誰か

に対する恨みというよりも心残り、未

練、無念、嘆きの気持ちという。

 

 

この曲の自筆譜の余白に「Doctor!、

Doktor!」という走り書きがあったそ

うだ。  これ、前は英語、あとは独語。

なぜ?謎のままだ。

 

 

小説家、谷津矢車氏「廉太郎のノオ

ト」で解き明かされてるらしい。読ん

でみようかなと思う。

 

 

この言葉には若くして、逝かねばな

らない無念が表れているような気が

してならない。

 

 

これはあくまで想像に過ぎないが、

無事留学を果たして帰国して早逝

しなかったら世界的な音楽家にな

っていただろうと思う。

 

 

彼の死後代表作の荒城の月が書

き換えられる事件が起こる。

 

 

理由はジプシー音階の影響を受け

いるから。「日本的」に書き換えられ

てしまう。なんて乱暴な音楽後進国

であることか。

 

 

原曲「はなのえん」のえは♯が付

きます。動画は本物です。

近世歌われている曲は♯が削除

され半音低い。

 

 

♯があるとないとでは大違い。原

曲は哀調を帯びているが、改変曲

は単なる平凡な別の曲。

 

 

こともあろうに音楽学校の後輩の山

田耕作によって書き換えられた。

…編曲ではない、荒城の月が2種類

出来てしまったのだ。

 

 

文部省はあろうことか書き替えられ

た作品のほうを教科書に使った。

文部省の滝に対する評価がわかろ

うというもの。リスペクトはゼロだね。

 

 

試しにユーチューブを聴いて見る。

中高生の荒城の月は殆ど山田版

だと思う。

 

 

仕方がないね教科書がそうだから。

教育とは恐ろしい。少なくとも両論

併記で教える教師はいないのだろ

うか。

 

 

許せないと思う、大作曲家の山田

耕作の意図も今となったらわから

ないし不可思議だ。

 

 

一説には三浦環の米国ツアーで原

曲は日本的でないといわれ、ツア

ーに帯同していた山田耕作が書き

換えたというのである。

 

 

それならせめて原曲滝廉太郎、編

曲山田耕作とすべきだろう。

三浦も、山田も滝の東京音楽学校

の後輩であるのに本当失礼極まり

ないと思うのだ。

 

 

だから私は山田耕作という人物に

対してリスペクトを感じることはな

いし、これからもないだろう。

 

 

荒城の月は西欧世界では一つしか

存在しない。もちろん原曲だ。

西欧では♯無し曲は存在しない。

 

 

最近のプロ歌手は歌う時は原曲を

歌うか山田版を歌う時は編曲と断

って歌うようだ。良いことだと思う。

やはりオリジナルは何物にも変え

難いのだから。

 

 

ついつい熱くなってしまった。まあ

ご本人はあの世で散々怒られてい

るだろうと思うと笑ってしまう。

 

 

ピアノ曲「憾み」を載せました。最後

の高音と低音の和音の連打が凄い。

そして、最後の低音・・・切ないな。

 

 

ショパンの前奏曲24番に似ていると

いう、早速聴いて見た。

和音進行が似ているかな。最後の

低音まで。速度を上げればもっと似

るかも。

 

 

本人はきっと留学先、ライプツイヒで

ショパン聴いていますよね。

 

 

 

 

 

 

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