荒城の月楽譜

 

 

こんにちは。

 

 

以前滝廉太郎のことを書いた。オルガン

奏者であり日本で最初に歌曲を作曲した

希代の作曲家である。

 

 

クリスチャンであり教会のオルガン奏者で

あった。多分優れたピアニストでもあった

と思う。

 

 

でも彼は有り余る才能を発揮できぬまま

この世を去ってしまった。

そして当時の人たちは彼を慕い大事にし

たろうか。

 

 

そうとは思えない。思うに彼の才能に嫉

妬したとしか思えない。それだけかけ離

れた才能であったと思う。

 

 

彼の作品自体、没後しばらくは埋もれた

ままだったという。

たんなる肺病にかかった若者が亡くなっ

たとしか捉えられていなかったのである。

 

 

彼が応募して合格した文部省唱歌にし

ても死後は作曲者不詳の同名の曲に

書き換えられていたし、当時の文部省

の扱いはいま考えてもひどいと思う。

 

 

彼の代表作「荒城の月」の書き換え事

件などその代表的な表れと思う。長い

間荒城の月はある一人の著名作曲家

により書き換えられた歌が歌われてい

たのだ。

 

 

滝廉太郎の曲は大正年代には世界に

拡散していたので、海外で歌われる荒

城の月と日本で歌われている荒城の

月が違うという恥ずかしいことになって

しまった。

 

 

ただ、正義は死なない。今の時代は滝

の曲が本物として歌われるようになっ

ている。当たり前だが。

 

 

滝の作品はジプシー音楽の影響を受け

ているということで排斥されたらしい。日

本的でないというのだ。

 

 

どちらかというと当時は箱根八里のほ

うが日本的であるとして人気だったら

しい。日本人好みのヨナ抜き音階だか

らね。

 

 

いわゆる編曲(偽作は穏やかでない表

現なので編曲と呼ぶ)は「春高楼の花

のえん」の”え”の音階の♯を取ってし

まった。なんて乱暴な、怒。

 

 

楽譜を一個変えただけで日本的な曲に

変容させている。その才能恐るべし。

編曲者も稀有の才能をもっていたのだ

ね。

 

 

問題は編曲が編曲とされず本人の曲

として日本で通用してしまったこと。

編曲の経緯など発表されていないこ

とだ。

 

 

これは絶対フェァではない。反論したく

ても本人はこの世にいなかったのだか

ら。

 

 

漏れ聞くところ編曲されたのは当時世

界的なオペラ歌手だった三浦環のニ

ューヨーク公演で荒城の月は日本的

でないといわれて書き替えたというの

だ。

 

 

でもそれを裏返すと荒城の月は世界

に通用する曲だったということでもあ

る。現に海外で歌われているのは編

曲版でなく本人の曲である。

 

 

外国人の異国情緒趣味を満足させる

ために書き換えられたというのか,怒。

 

 

これからも荒城の月を歌うことがあっ

たら本物を歌おうと思う。それが作曲

者へのリスペクトというもの。

それに編曲の方は陳腐で面白くもな

んとも思わないのだが。

 

 

この投稿記事をお読みください。まっ

たく共感します。編曲者の名前も載って

おります。

 

http://www.ff.e-mansion.com/~yoshimoto/koijounotuki.htm

 

 

三浦環を教えたのは滝であり、三浦環

の教え子が山田耕作なのです。三人と

も東京音楽学校です。

 

 

自身の成功のために原曲を書き換え

たのではないか。せめて編曲と断れば

よいのにと思ってしまう。どんなに有名

でも人間性を疑ってしまう。

 

 

編曲としたらオリジナルを歌わないの

かと非難されてしまうと思ったかもしれ

ない。

 

 

さて滝廉太郎は留学先のドイツで不運

にも当時不治の病とされていた肺病に

かかってしまう。

当時のドイツで蔓延していたらしい。

 

 

1902年7月志半ば帰国し1年後の6月

に亡くなってしまう。

その間にピアノ曲「憾み」と別れの歌を

作曲している。

 

 

もっと作曲していたかも知れないが肺病

を恐れて焼却されてしまった。惜しいと

思う。

 

 

最後に辞世の曲となった「水のゆくえ」

の演奏動画です。未完成でないかとい

われる幻の作品です。

 

 

 

『水のゆくへ』 

作歌 橘 糸重 

 

木末(こずゑ)のうそぶき

静かになりて 

草葉のさゝやき 消えゆく夕べ 

しげみをぬひて 流るゝ水に  

うつれる星かげ 三つ四つ二つ  

やどれる光は よどむと見れど   

流れて流れて たえせぬ水  

あはれいかにか 思ひせまりて 

いずこのはてに 急ぎゆくらむ   

あはれ いずこのはてに

 

 

作詞者の糸井重は音大での滝のピア

ノの先生だそうです。

 

 

作曲は1902年10月。曲は本人の心

境そのものと思われます。

本人の無念さを考えると万感胸に来て

貰い泣きしてしまいます。

 

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