伊勢佐木町にある歌碑。「伊勢佐木町

ブルース」青江三奈さん大好きな歌手

です。

 

 

こんにちは。

 

 

コロナ感染症の猛威はとどまるところをし

らない。

いち早く抑え込みに成功した国として韓

国が評価されているようだ。

 

 

だが、気を付けなければいけない。我慢

から解放されてあとの行動だ。ソウルの

街では人があふれているそうだ。人とい

うのは都合よく過去を忘れるものらしい。

 

 

日本も今は全国的に緊急事態宣言がで

て全国民が自粛規制しているはず・・・

だが、一部の人は自分は関係ないと思

う人がいるようだ。

 

 

19日の湘南海岸ではサーフィンを楽し

む人が大勢いたそうfだ。たしかに海は

3密でもないし他人との距離もとれる。

 

 

だから関係ないと考えるのだろう。でも

みんなどこから来るのだろう。長距離を

移動してくるのではないか。

 

 

移動してくれるなという要請にどう答え

るのか。要請はお願いだ、だから聞か

なくても関係ないということだろうね。

 

 

 

移動途中、人と接する、休憩すれば

密着する、まさに3密ではないか。そ

れが県外から集まれば規制など吹

き飛んでしまう。

 

 

自分は関係ないというのだろう。関係

ないどころか人は人と接しなければ生

きていけない。昔とは違うのだ。

 

 

人と接する以上、細心の注意を図るの

がマナーだ。

自分が感染者であるかも知れないのだ。

 

 

相手が感染者であることもある。自分も

相手も知らないことがほとんだろう。

感染と知っていて人と接するのは論外

だが。

 

 

そしてコロナの大変なところは私は感染

者ですというプラカードを下げて歩いてい

ないこと。

本人は知らないまま感染者であるという

こともあるのだ。

 

 

体調が悪いという自覚症状があれば人

と接しないでくれと言われてるから、その

場合は自宅待機するのが常識だが。

 

 

自分は覚えがなくて元気でピンピンして

いれば感染しているとは思うないだろう。

 

 

いまは、誰もが「自分も感染しているか

もしれない」という懸念をもって行動する

ことだと思う。

 

 

不必要に人に近寄らない、相手が知人

近親者でも。3密の場所にはいかない。

他人とは距離をとる。マスクを着ける。

 

 

これら注意は相手が感染しているかも

知れないからと思うからだが、今は自

分が感染しているかもしれないという

気持ちをもつことが重要だ。

 

 

生活をしていることは他人と接するこ

と。俺は一人だから関係ないということ

は通らない。

 

 

相手から移される、相手に移さないよ

うにするにはどうしたらいいのか考え

ながら行動することが今こそ必要と思

う。

 

 

道を歩いていても、群れを成して歩く、

くっついて歩く、大声でしゃべり合いな

がら歩く。必要以上に近づいてくる。

 

 

マスクをしない。くしゃみ、咳をしても手

を当てようとしない人がいる。危機感

などこれほども感じられない。

 

 

昔は通じたかもしれないが、今はマナ

ー違反だ。

人に迷惑をかけないということがこれ

ほど重要になった時代がほかにあった

だろうか。

 

 

戦争のさなか、幼い子供のころ、父親

は2度招集され、家には女子供、肺病

を患った叔父しかいなかった。

 

 

肺病は感染症だ。不治の病で、感染

すると言われ忌み嫌われた。だから

軍隊にもいけず自宅隔離されていた。

 

 

当然ながら近所の目が厳しく外出は

できない。

ストレスがたまる。その矛先は母に向

かった。いじめである。

男の小舅のいじめほど性質の悪いこ

とはない。

 

 

母はよく幼い子供二人連れて実家に

帰っていたのを思いだす。居場所は

婚家にはなく生家にしかなかったの

だ。もっとも母のストレスは子供に向

かったのだが、苦笑。

 

 

外出ができず家に閉じこもる。どんな

にストレスになることか。いまは理解

できる。

 

 

でも現実になってみると、発散ができ

ずに矛先は弱者に向かう。女子供、

年寄りだ。

 

 

DV、児童虐待が増えているそうだ。

コロナいじめも、集団で弱者をいじめ

る。人間の最大の暗部だと思う。

 

 

コロナ感染症は本当に罪作りだ。人

間の弱点を抉り出した。

まだ当分は続く我慢の日々。我慢の

できない人の自分勝手な行動が目立

つ。

 

 

外国では強権、罰で抑え込んでいる。

日本はそれができない、できるのは

個々人の意識に頼ることだけ。

 

 

一人一人の力ではどうにもならない

のも事実だ、でも一人一人しかできな

いのもまた事実。

 

 

日本人の意識を信じたいと思う。1年

もしくは2年、コロナと戦わなければな

らないだろう。

 

 

すさまじい死者を出した、100年前のイ

ンフルエンザ、スペイン風邪も収束に

は2年かかったという。

 

 

1年、2年というのは、医学の進歩で抑

さえこむということ。

見えない相手にはそれくらい時間がか

かる。それまでは、自分たちで抑え込

まなければならない。

 

 

はっきりいって戦闘機に竹槍で戦いを

挑んでいるのだ。

新憲法で平和を謳歌してきた日本、

様々の矛盾で苦しんでいる。

 

 

世界最大級の危機でも日本は自粛一

本やり。というかそれしかできないから。

 

 

日本の平和は自力で勝ち取ったので

ない、負けて与えられたもの。戦争を

放棄した唯一の国だ。

 

 

でもコロナみたいない未知のウィルス

に対する戦争もできないのでは困る。

法律上、国民の権利を縛ることはで

きない。強権は発動できない国なの

だ。

 

 

心得違いの者に罰も与えられないの

だ。かれらが多いほど終息は遅れる。

気が付いたら世界から置いてゆかれ

ていたとならないよう気をつけなけれ

ばいけないと思う。

 

 

今日の歌です。

ヘンデルのメサイアから「ハレルヤ・

コーラス」にしました。

 

 

私が学世時代歌った最初の宗教曲。

合唱を再開してもう2回歌っています。

大好きな歌です。

 

 

苦しいときの神頼みではないのです。

頑張るぞという意思の表明です。