理系といえども国語の勉強は避けては通れない。理系諸君の中には明確な解の存在しないように感じる国語に対し、苦手意識を持っている人が少なからずいるだろう。

 国語の問題文の答えに、小論文形式の問いを除けば、明確な答えが存在しないということはほぼない(一部、小説等では論理的に読み解いても解釈の別れるような部分があるが、少なくともセンター試験ではそのような問いは出されない)。そうでなければ、採点する方も困るだろう。
 現代文、古典、共に解は問題文中に存在する。ではなぜ、点をとることができないのか。それは、文の構造を理解できていないからである。文構造を理解することはそれほど難しくない。文構造はいくつかのパターンに別れる。評論の場合について見てみよう。
 
①一般形
 
(問題提起と主張)
   ↓
(理由)なぜなら~
(譲歩)もちろん~、……しかし~。
   確かに~、……しかし~
   ↓
(結論及び昇華など)したがって~。
         そもそも~
 
②二項対立型
 
(相対する二つの事柄の提示、多くは片方について重きを置いており、何が問題なのかを明確にするために、逆の事項を引き合いに出す。例:「和と洋」和の素晴らしさ、あるいは問題点をのべるために、その点について洋のことを説明する。洋がAであるのに対して、和はαである)
 
(問題提起) AとBとがある。
  ↓
(比較)   AはCであるのに対し、BはCではない。
 ↓
(結論)ゆえにBには問題がある。
 
殆ど以上の①、②の二点で書かれている。読者に文章を理解してもらうためには、論理的な文章でなければならないが、そのためには文章の構成がほとんど決まったものでなければならない。これが見えにくくなるのは多くの場合、具体例が差し込まれてくるからだ(具体例は読者に分かってもらうために提示するものなのだが)。具体例が入ると大抵次のようになる。
 
AはBだ。   Ⅰ
例えばA'はB'だ。Ⅱ
AはBだ。   Ⅲ
 
問ではⅠとはどういうことか、と聞かれてⅢを書けば答えになるということがある。ⅠとⅢとでは表現が微妙に変わっているが、中身は同じなのである。A'、B'は具体例となる。具体例は多くの場合、答えとなることはない。解となるのは抽象的に書かれている部分である。
 もちろん上記のことを理解したからといって、国語の問題が解けるようになるとは思っていない。訓練が必要不可欠である。
 訓練で鍛えるのは、ポイントを抽出する力と解答としてまとめる力だ。上の例では、Ⅰを問われるのだがⅢがいつでもすぐ近くにあるとは限らない。また、なぜ~なのか、というような理由を問われる問では、なぜなら~に当たる部分が、途中に長い具体例が入ったりして、離れていることがある。おまけに、抽出すべき事項がひとつとは限らない。ひとつでは不十分で片割れを探さなければならないことが往々にしてある。そしてその抽出したポイントを過不足なく、制限字数以内にまとめなければならない。
 以上の訓練を参考書での問題演習を通してしてほしい。センター試験でしか国語はないからといって、記述問題を解かなくてもよいと考える人がいるが、マークも記述も問題の解き方は同じだ。論理的に読み解く訓練をするには、百字を越える記述式解答の作成をすることが一番だと思う。