母の三回忌が停電前に終わりました。
母が危篤の時に二日病院に泊まりました。寝れたものではありません。
呼び出しブザーを押すと、危篤の時はナースステーションの近くにうつるので、ナースステーションから呼び出されましたと「エリーゼのために」が流れるのです。
チャラチャラチャララララ~♪
うちだけじゃなくいろんな病室が押します。
ここの棟は重病患者ばかりで家族が帰ると特に夜には呼び出しで助けを求めているのでしょう。
何百回?も聞いたエリーゼのために
一日目は昼に父がきたらいったんシャワーを浴びに戻りました。
なんとシャワーを浴びながらエリーゼのためが聴こえるのです。
何回か入り口を開けましたが幻聴のようです。
そしてまた病院に行き、夜になりました。母のチューブの薬がなくブザーがなるので呼び出しを何回もしましたが忙しく中々きてくれません。
また鳴り響くエリーゼのために
若い男の看護士さんと少し話しました。私が帰宅してもエリーゼのためにが鳴り止まないと、 そう言うとわかりますといった顔でそうですよね。とお互い辛さを分かち合えた気がした。
しかし毎日きいている看護士さんはもっと大変であろう。
看護士さんは心の底から疲弊したような顔だった。
母はこの日に亡くなった。
薬で眠らされていたが、最期は目を見開いて苦しんで苦しんだ。まるで溺れているように。
こんな姿を孫には見せたくはないだろうと悩んだ。
父と娘がついた時はちょうど息を引き取った時であの凄まじい様子は二人とも知らない。
間に合ってなかったかもしれないが間に合ったといっておいた…
葬儀になって横になる母をみると胸が上下に動いているように見えた。
あの危篤の二日間にそういう動きをずっとしていたから息を吸ったり吐いたり。
これも幻覚だった。
私の残留思念だった。
これだけは真実と言えるもう「エリーゼのために」だけは聞きたくない。