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人間の価値観というのは育ってきた環境で変わるものですよね。せん兄さんのいう通り、国、時代など…。牛を信仰して食べない国…そこから日本などを見ると許せないでしょう。
一人一人価値観は違い、いくら似ていても、全く同じはないと言えるかもしれません。
私がblogで書いた犬殺し、犬鍋については、日本では犬は愛玩動物としての価値観が植え付けられており、他の国によっては価値観が違うのも分かります。
可愛いヤギを食べる地域もあります。家畜が残酷と感じるなら君は本質が全く見えていないby-キュウベイ
問題は殺し方で、食べるにしてもジワジワなぶり殺してから食べるのには嫌悪感、やるせなさが湧いてくるのです。
犬は人間のパートナーと書いた所は、日本では狩りで共存してきた所がありますので…お互いを必要としてきたという生き物ではないかと思っています。
声をかければ尾を振り飛びついて喜ぶ、そんな感情豊かな動物を食べ物にしてしまう。 これは私が理解出来ないだけで、勝手な言い分で感情論ですね。
たまたま韓国で、涙を流して殺されてしまう犬の映像や画像、デビ夫人のブログを見たからだと思います。犬を食べるにしてもなるべく苦痛なくと思うのですが…。
鶏は、食べ物としての価値観が日本では小さい時から植え付けられています。
少女椿では、みどりちゃんが芸の一貫として生きた鶏を食いちぎる描写があり、食べ物としての価値観が植え付けられてはいても、残酷だと感じます。
鳥葬もハゲタカにとっては貴重な食糧で、チベットでは考えもあってしている…。
釣りの話も食べる分だけ釣るのならいいのかと思いますが、釣るのが快感でしかないというのはちょっと…
犬、猫は家の軒下などに自然と集まり、そんな暮らしをしていたように思われます。
私事なんですが、今、犬を飼っておりますが、飼うに飼えなくなった方から引き取っている犬です。
確かに可愛いです。
でも犬はどう考えているのでしょうかね?
散歩に凄く喜びます。自由に外に出たいはずです。
ただ、外に出ては生きていけないでしょう。。
一人暮らしで近所付き合いのない方がペットを飼うのは、飼い主に何かあればペットの食糧がたたれてしまいますし…身勝手かもしれません。
ペットショップの在り方にも疑問が付き纏います。
せん兄さんの言われているグレー…。
人間がいる数だけ、考え方は千差万別なので自分なりの妥協的を見つけるしかないのでしょうね。
きゅうりがパパというのが、せん兄さんらしい軽快なジョークセンスで、重いテーマも少しホッと出来た瞬間でした(笑)