新しく通いはじめた講座がいよいよ実践編へと突入し、簡単な少人数のグループわけがありました。
年齢層バラバラ定年すぎの男女が三人入った六人チームです。
そこの講座は、花や緑が好き。という共通の意識を持った人が集う場所。
その好きをなんとか行動に移さんが為の集まりなんです。
だから、ほとんどの方が、『私は個人的に好きだったけど、なんらかの経歴とか実績とか問われると、披露するほどのことはない、、』
という、控えめかつ謙虚になるわけです。
でも講座も進み、ファシリテーターの方の上手い誘導で段々と、その隠し持っていた夢とか理想とかを訥々と表現していき、共通の好きと共通の謙虚さにより、誰もバカにしたり上からだったりしないグループは、新鮮で楽しいのです。
一種の激しい高揚感とは違う、ほんわかとした一体感というのかな?
控え目ながらも、話して聴くと、それぞれが意外な視点からの知恵をお持ちで、驚いたりするのです。
自分はたいしたことないという意識でも、その知恵を束ねていくと、活動に繋がるというか。
共通の好きのもとに集まったささやかな素人集団は、素人であるがゆえに仲間に優しくて、謙虚で、人の意見にも新鮮に耳を傾けることができる、それが故に小さな喜びを共有できるような、そんな予感がします。
もしかしたら、私のグループの方が、『我』の薄い、我を張らない人たちで構成されているのかもしれません。
だとしたら、その与えられた神の采配に感謝です。
素人集団は夢をほんのひとつの小さなカタチにするのだけでも、一から自分達で考え、知恵を出しあい、調べて、聞いて回らなければならないのです。
それはある意味、幸せな行動のようにおもいます