梨木香歩さんの、ピスタチオを読んでいたら、死者の弔いには物語が必要だ‥のようなことが書いてあって、非常に、なんというか、胸の中心点からうわ~と、わかるような気がする‥となりました。
略歴ではなく、痛みや悲しみ、生きた襞の隙間を洗うような‥
12月頃アップした『イヨマンテの猫』は、父を送る為に書いたお話です。
もう、全身全霊で送るつもりで、これを書かなきゃいけないんだーみたいなかんじになっていて、なんとあれ、第二話は、夜中、父の遺骨と遺影の前に一人で向き合って携帯を必死に打っていた訳です。
第二話は、父にとってはとても辛いことを記さねばならないけど、これを書いてあげることが、父への最大の見送り、送り火になるような気がして。
(おまえは、ほんとに我の強い女やなぁ。俺の言うことなんもきかんやったなぁ。よか、書け。素直にありのまま書け。おまえに書かれるならよか。。)
遺影の顔はそう言いながら照れ臭そうに笑っていました。
私が書いたというのは、実は語弊があります。
あれは、父の命の灯火が消えかかっていた頃に、まるでサイレント映画のように鮮やかに表れたものを、ただ消えないように必死で文字起こししただけなのです。そうせざる得ない衝動ですね。
地球の1つの細胞の消滅に過ぎない父の死。
私たちの体の中でも起こっているありきたりな循環作用です。
ただ、その細胞にも、小説一本分のドラマがあったことを、上納してあげると、先に行く魂は真から満たされるような、そんな感じがするのです。
お経や、線香代、お酒、それもいいでしょう。
もし、余力があるなら、物語や絵や詩なんかも送り舟にそっと乗せてあげても死者は悦ぶと思いますよ。☆
人は、渇愛に生きていますから、わかってくれた‥という感覚がなによりの成仏になるんじゃないかな?と、そう思います。☆