物語『イヨマンテの猫』最終回 | シン・135℃な裏庭。

シン・135℃な裏庭。

ブログの説明を入力します。

electrocardiogram-36732-400x270-MM-100_001.jpg



酸素量と心拍数を表示した機械は、もう二日間、気まぐれに警告音を発している。


今日あたりが峠かと……

医師がそう小声で告げている。


一体誰の話をしてるんや…


病室の天井から見下ろすと、私が苦しそうに喘ぎ続けている。


こうやってしげしげと眺めると、私はいつこんなに歳をとったのだろうか?


私は私であるのに、眼下の私の肉体は、朽ちる寸前の老木のようだ。


妻や子供達、孫達が私の老木を懸命に撫でたり擦ったりしてくれている。

ふいに涙がこぼれた。


私は…素直でなかった。

私は…意地を張りすぎた。


頑固すぎて、たくさん君達を傷つけてしまった。

なのに、皆、必死でそれぞれの心でもって、祈り、私を許そうとしてくれている。


それぞれの心に積もった私が傷つけた痛みが、そのひとつひとつが一体となって私の中に甦る。すべて。


人につけた傷は、私の痛みとして、息を吹き返す。


滂沱のような悔恨の涙が溢れ続ける。


許してくれ……


私は搾りきるようにそう唸った。


今、私にあるのは、それしかなかった。


涙は目の前で川になっていく。


私が作った川はみるみると私を飲み込みはじめている。


いつの間にか濁流となった。


私は足を掬われ、流され、沈み、溺れる。


苦しい……


必死でもがく。また、足を捕られる。


私は泣きながらもがき続けた。


悔恨の川は水かさと深みをどんどん増す。


遠くでピコ-ン ピコ-ン ピコ-ンと、その度に警告音が鳴っている。









ミャア ミャア‥‥


目を開いた。


なんだかずいぶん長く眠っていたみたいだ。


ボクはなぜかわからないけど河原で寝ていた。


丸い石が続く視界の先の対岸に、ボクを見ながら黒猫が鳴いている。


『クロ?』 クロや!クロ!!


ボクは腰まで川に浸りながら、対岸にいるクロの元へ必死に渡った。


クロはじっと待っている。


河原に上がり走ってクロを抱きしめたかったけど、丸っこい小石に足をとられて思ったように走れない。


クロはボクを誘うように歩き始めた。


待って!クロ!


クロはボクをからかうように、小躍りするように、振り向いたり走ったりしていた。


チリンチリン‥


その度に小さな鈴の音がする。


ボクがあげた鈴、クロ、つけてくれてたんや!


ボクは嬉しくて一生懸命追いかけた。


どれくらい走ったんやろう。


先にいたクロは、一本のトンネルの前でじっと座ってボクを待っていた。

ボクをまっすぐに見つめている。





lgf01a201410122200.jpg



トンネルとクロは同じ色で、まるでクロはトンネルの2つの目のようだった。


ボクはどきんとした。


真っ黒にぽっかりと口をあけているトンネルが恐ろしかった。


クロ、さあおいで。こっちきて一緒にかえろな。

そおっとそおっとクロを捕まえようとした瞬間、チリンと音を鳴らしてトンネルの中へ吸い込まれていった。


あ!クロ!あかんて!!

ボクは足がすくんだ。トンネルの中は真っ暗で何も見えない。


どうしよう‥‥


ボクは途方にくれた。


なんで入ったんや。


足がすくむ。心臓がバクバクする。


チリン。トンネルの中からクロの鈴の音がした。

ボクを待ってんのやな。

ボクはありったけの勇気を振り絞り、えい!と中に入った。


もう一度、クロを失うことがイヤだった。


一体ボクは目を開けてんのか、閉じとるんか‥


クロの毛のように真っ暗闇だった。


先の見えない恐怖。もどろうか、どうしようか、

今やったら、まだ引き返してもかっこわるうないで。お母ちゃんに男の子やろ!って怒鳴られることもないんやで‥


でも……クロに会えたんや。もう少し、もう少しだけ先に進んでみる。


震える足を一歩前に出した。


その時、少し先のほうでチリンと鈴の音色がしたかと思った瞬間、凄まじい光がボクを襲った。


いきなりの眩しさに射ぬかれてボクはしばらく目を開けれなかった。


光はトンネル中に充満しつくしていくようだった。恐る恐る目を開いてみると、光の中に誰か立っていた。




『こうちゃん…』


懐かしい声だった。


『お父ちゃん!!』


ボクは走ってお父ちゃんに飛び付いた。


お父ちゃんはボクをしっかりと抱きとめてくれた。


大きな手のひらでボクの頭や顔を何度も何度も撫で続けてくれる。


『お父ちゃん、ボク、ほんまにほんまに会いたかったんやで』


お父ちゃんの胸に顔をうずめながら何度も言う。

お父ちゃんはなんにも言わんとただ優しくうんうん頷いていた。


ボクはお父ちゃんに抱きとめられたまま、とけるほど幸せやった。ずっとこうしてたかった。


『お父ちゃん、どこ行っとったん?』


お父ちゃんは座ったまま、おんぶの構えをした。

『こうちゃん、しんどうないかえ?』


ボクはお父ちゃんのおんぶが好きやった。


お父ちゃんはボクをおぶって歩く。


トンネルを出ると、河岸に灯籠が瞬いている。ずっと先まで並んでいる。

『お父ちゃん、きれいやなぁ』


『ほんまやなあ』


ぼんやりとした灯りの川の中を歩きながら、ボクはお父ちゃんの暖かい背中の安心感で、瞼がとろとろなっときた。


チリーン チリーン‥


お父ちゃんが歩く度に鈴の音がする。


『あれ?お父ちゃん、下駄に鈴つけとる』


『ああ。いつかこうちゃんくれたやろ?』


『そうやったっけ‥』


ぼくはだんだん眠くなってきた。


お父ちゃんの背中はゆったりと、たゆたうように揺れている。


チリーン チリーン‥


『今日は祭りやから、お父ちゃん、こうちゃんがはぐれんようにつけてきたんやで』


そうかぁ。祭りやったんかぁ。だからこんなにきれいな縁日があってんのか‥


『こうちゃん、しんどうないかえ?』


『うん‥しんどかった‥』


ボクはお父ちゃんの背中に顔をうずめたまま甘えた声を出して、幸せな眠りについた。


チリーン チリーン‥


鈴の音も遠く小さくなっていく。






P13514L.jpg






じいちゃんが死んだ日の朝、黒猫がいなくなっていた。


ゲージはしっかりと閉めていたし、他の動物に荒らされていたような気配もなかった。


黒猫だけがぽっかりとそこから消えていた。


僕たち兄弟とお母さんとで一生懸命探した。


ついこの前、妹とお母さんとでペットショップに行き、小さな可愛らしい鈴のついた首輪を買ってきた。


僕はまだ小さい子猫に首輪なんてあまり賛成しなかったけど、まったく嫌がる素振りも見せずに、なされるがままだった。

お母さんと妹と弟は田んぼの方、僕は裏山の方を探した。


『じいちゃんの病院へ行く時間までに出てきてくれよ‥』


山は歩きにくい。


朝からずっと探していたからだんだん疲れてきた。


ふいにどこか遠くから、チリーンチリーンと鈴の音が聴こえた。


僕はなぜだかわからないけど、じいちゃんも黒猫も、もう帰ってこないような気がした。


雑木林の枝先にふちどられた青空を見上げる。


滲んだ白い雲は、あっという間に形を変えていった。