“無意識”のドアを開く時代。 | シン・135℃な裏庭。

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自分が抑圧している無意識のドアを勇気を振り絞って開ける時代。


意識と魂の間に押し込むだけ押し込んだ“無意識”という開かずの間がある。


見栄えの悪い、傷ついて泣いてばかりの子が鎖で繋がれている。


その子は、実の親や育ての親によりぼろぼろになってる。


その子は、“誰”に怒っているのか?


ナニによって深い傷をおってしまったのか?


話を聞いてあげる。


『おとうさんがだいっきらい』


『おかあさんを苦しいほど憎んでいる』


そういう事を、バケツ一杯の涙とともに、しっかりとしっかりと意識にあげてあげる。


末端の末端の意見を代表へ直訴するくらい大変だけど、


今、みんなの無意識が決壊しはじめてモンスターになっている。


自分が怒るべき張本人に、いつもの癖で媚びつづけて


憎しみは、またドアの向こうへ詰め込む。


外交的な人間は、弱い他人へ怒りの変形をぶつけ、


内向的な人間は、自分を責め苛む。


両方の場合もある。


おとうさんがキライだったんでしょ?


自分の虚栄心を満たすだけのおかあさんの愛情もどきがつらかったんでしょ?


偽りの臍の緒をちぎる。

もちろん、内面で。。


そうすることで、初めて自立の羽根がはえてくる。


自由という意味を知る。

怒るべき人に怒りをぶつけずに、大切にしなければならない人を足蹴にするという悲劇を、もう終息させましょう。


もう、飽きました。。


無意識という暴れ馬を抑えるためだけの人生?


その為に生まれてきた?

憎しみの煮汁が染みだしたような孤独な老人になる?


憎んでいる人間はダレなのか。


意識にあげたほうがいい。