ちなみに、一ミリも歴史の勉強してませんのであしからず~
去年、11月に、ふと宮地嶽神社に行ったのです。

しめ縄がすごかったんだけどね、神社からまっすぐに望む玄海灘のほうにナニかを感じたんですね。
ナニかを乞うような、望むような意識?それが玄海灘の向こうに向いてるような?
深く気にしなかったけど、その1週間後くらいに、今度は、偶然、二見が浦に出ちゃったんですね。
ほんと、農道走ってたら出たの(笑)

でね、この夫婦岩?を見ているとね、
宮地嶽神社からの乞うような気?が、ここらあたりにまで真っ直ぐに届いているのを感じたんですね~
昨日も、糸島に仕事で緊急にいかなくてはいけなくなり、その不思議な気配を考えていたんですね、
そしたら、加布里あたりに宮地嶽神社の分社?があるんですね~
点と点。。。
でね、糸島沖にある姫島ってのが朔旦冬至から気になっていて、
ふとね、宗像の女人禁制の神の島、沖ノ島と繋がりはじめたんですね。
なぜ女人禁制なのか?
それはひょっとして、沖ノ島と姫島はもともとラブラブで、
なんらかの結界によって離されてしまったんやなかろうかと。
沖ノ島のあまりの姫島への慕情が強すぎて、他の誘惑を嫌うからじゃないのかと。
あの宮地嶽神社からの乞うようなきもちは、まるで、愛しいひとを思うような感情だったもんな。
息子の地図帳ひらいてみると、沖ノ島と姫島は経度?がまったく同じあたりなんだね~
結界をといてほしいのかな?
二見が浦の夫婦岩は
沖ノ島と姫島の悲願なのかな?
今、しめ縄って変換したら“島縄”と出てきたよ。
島縄か~~~~
深いな~~~~~~
結界をといたら、二人の長年の悲願が成就するのでしょうか?
最近、糸島に導かれているのは、そういうこと?
私にナニができるのでしょうか?
*朔旦冬至の日に入ったお風呂の目の前が“姫島”だったということに、後に知りました。。