あの子が産まれることは随分前に知っていた。
若い娘の頃。
突如として舞い降りた一枚の写真のような映像があった。
ママチャリを押す私の足元にころころとまとわりつく小さな男の子。
坊主頭でお地蔵さんのような愛らしい和顔でニコニコとしていて
なんだか、少しくたびれた保育園の体操服をきていて、裸足に靴をはいている。
裸足だということで、この子は幼稚園ではなく保育園だということがわかる。
ママ大好き(*^-^*)
みたいな顔で、ママチャリを押す私の横にいて、抱き上げて、後ろに乗せてる。
そんな映像と写真をミックスしたような風景がプリントアウトしたように残った。
そういう前触れのない写真が私の人生には数枚あって
後で振り返ったり、その渦中にいたりするときに
『あっっ!!』
と、思う。
その写真には条件があって、自分の願望とか欲とか、つまり作り上げた作品ではない。ということ。
子供は、あの写真のまんまで、私はいつもママチャリで子供と過ごしていた。
『あっっ!!』
和顔で、頭のかたちが栗饅頭みたいでキレイだったから坊主がとても愛らしくて、似合っていた。
あの写真のままだった。☆
お約束をしていたんだね。☆
(*^-^*)

縄編みをしていたら、DNAの螺旋みたいに観えて……
この世って不思議だなーって思う。
私がすることは、
権力や出世や名声を愛の変わりに強迫的に求めて、他人やこの世を呪うような、もしくは挫折感から世界の破滅を願いながら無気力になる人間にしないように育てること。
これだなと思う。
その為には、私が本当に底から幸せな人間であることが大切なんです
