『10を3にて徐するに
3・3 3333333+ないし幾億万回を重ねるも極処に至らず。
至らぬが、二回は一回より、
三回は二回より実境に近くなる。
3・3へ(←これが横になった記号)3を乗する。(9・9)より3・33へ(←これが横になった記号)3を乗ずる方(9・99)が百分の九だけ10に近くなる。
人のこの世にあるは安心を好む。
安心は愉快の極なり。
安心に等差あり。
9・9の安心あり、9・99の安心あり。
また9・999+の安心あり。
いまだ10に至らずといえども
安心深きものほど10の安心に近し。
この世の安心と身後の安心は種類度数に多少の差があることながら、
この世に安心をきらうものなきは、
身後に大安心あるによる(略)
とにかく科学では10を3に徐し切るほどのこともならぬものなり。
また哲学などは、
古人の糟粕(そうはく)、
いわば小生の歯の滓(カス)一年一年とたまったものを、
あとからアルカリ質とか酸性とか論ずるようなもので、
いかようにもこれを除きおわらば事おわる』
これは南方熊楠さんの霊魂の死不死論。。
(´∀`)/ ????
そうかと思うと。
十歳の子分には…
『それで、な…
こいつは親父ゆずりの浮気性じゃよって、
春になって気色ええ風が吹いてきよるともう辛抱たまらん。
身ぃも心もむずむずふわふわと浮き上がって、
山越え谷越え飛んでいって
手当たり次第子ぉを産み散らす。
そこで生まれた子ぉがこれまた……』
と、クサビラの説明をする(笑)
おもろいおっさん(´∀`)
めっちゃ、楽しいわ
