『それ、知ってますわ』 | シン・135℃な裏庭。

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『学校や今の教育は違いますな。


まず手取り足取り教えますな。


子供がわからな、教え方が悪いと言いますしな。

それでそのときはこないする、


こんなときはこうやったほうがいいと、


こと細こう教えますな。

そしてわからなかったら本を読めと言いますわ。


私ら一切そんなことをしません。


本は読まんでもいい。


テレビも新聞も見習い中はいらん。


こうですわ。


こんなですから今の教育に浸った人たちは何と理不尽で遠回りな古くさいもんやと思いますやろな。


しかし、これが一番の早道ですな。


屁理屈を並べるよりも、

本当に伝えようと思ったらこのほうがいいんです。


形式的に丸暗記して、そのことの意味がわからんでも、


そのときさえ覚えた気になればいいというんなら言葉だけで伝えてもいいんです。


親方がいったことを弟子が繰り返していう。


それだけでいいし、それやったら本でも読んでればいいんです。


棟梁なんていりませんな。


しかし、そんなんで、ものが覚えられますかいな。


大工はそのときの試験に通ればいいというんやないんです。


仕事を覚えたらそれで一生飯を食い、家族を養い、


よそのひとのために建物を建てるんです。


建物を建てるというのは頭の中の知識じゃないんでっせ。


ちゃんと自分の手で木を切り、削ってやらなならんのです。


そのとき


『それは知ってますわ』

じゃ、なんのやくにも立たないんです。


教わるほうは、


『もっとちゃんと教えんかい』、


『これだけじゃ、できるわけないやろ』


『おれはまだ新入りで親方とは違うんじゃ』


とかいろんなことが思い浮かびます。


しかし、親方がそういうたからやってみよう。


この方法ではあかん。こないしたらどうやろ。


やっぱりあかん、どないしたらいいんや。


そうやってさまざまに悩みますやろし、その中で考えますな。


これが教育というもんやないんですかいな。


自分で考え習得していくんです。


それを生徒がやっと考え出したときに


『何やっとるねん。


早ようせい。愚図やな。』


『そんなときはこうや』


こういって先生や親は考える芽を摘み取ってしまうんですな。






『木のいのち木のこころ』より。



最後の宮大工棟梁



西岡常一さん。。