『わからんこと起きましたら、法隆寺の境内を見に行きますわ。
今でもそうでっせ。
何年たってもそれは変わりませんわ。
いっこうに飛鳥の工人の域に達しませんな。
すべての基礎があすこにありますのや。
まあ、それで見ますな。
えらいしっかり立ってるな、
これが千三百年もたっとるのか、
それにしてもわしの考えと、どこが違うんやろと思いますな。
~~
それで帰りまして、そのことをおじいさんに言いますやろ。
そしたら初めて教えてくれるんですわ。
「石の重心というのは石の真ん中にあるんやないで。
石が一番太うなってるそこにあるんや。
そやから見た目がいいというて、そこに柱を立てたらどないなる。
そこに建物の力が全部かかるんやで。
それに耐えられるか。
はじめはいいやろ。
しかし時間がたったら必ずゆがんでくる。
礎石がゆがんでどうする。
礎石というのは何があっても、そこにそのままあらなならんのや。
たとえ建物が焼けても礎石というもんはそのまま残るんや。
それが礎石というもんや」
まあ、こないなことをいいましてな。
~~
自然石ですわな。
上がまっ平らで、そこにぽんと置いてボルトで止めればいいというわけにはいきませんな。
自然石やから、一つ一つ、石の表面がちがいますな。
それに合わせてコンパスや「オサ」という道具で石の凸凹通りの印をつけまして、それに合わせて柱を削りますのや。
この作業は「ひかりつけ」といいますが、面倒なことですわ。
それでもこれがあるから建物が千三百年も持つんですな。
『木のいのち木のこころ』より。
最後の宮大工棟梁
西岡常一さん。。