放蕩息子 | シン・135℃な裏庭。

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「ちょっとまってください、表にだれか。」


「亨が立っているのです。


まだ何も聞いてないのですが、


1時ごろ、東京の世田谷を出たそうです。」


「ちょっと代わって。」


亨が出た。私は叱るまいと思っていた。


そっと言った。


「お帰り。よく帰れたね。


住所もってたの?」


「いいや、静岡のねむの木学園ときいたよ。


なんべんも、なんべんも。」


「亨ちゃん、えらいね。

でもなぜ帰ってきたの?」


「うん、同じ部屋の人とケンカして帰ってきたよ。」


「けんかいけないじゃない。」


「うん、いけないね。まりこさん、


あのね、僕、まり子さんとお兄さんと話したいよ。


あのね、僕、テレビに出たいんだ。」


「テレビでなにするの。」


「歌うたうの。」


「ふん、そうか、テレビに出てうたうの、どんな歌?


きかせて、イチ、ニイ、サン、ハイ。」


電話の前で歌う亨。。


私は、その歌をうたうことで、


その歌のようすで電話での亨の精神状態が知りたくて、うたわせた。


歌が聞きたくてではない。


どんな状態か知りたかったからだ。


………


私は、受話器から流れてくる亨の歌声を聞きながら、


顔がゆがみ、涙があふれてきた。


亨は相当興奮して、躁状態にある。


早く、寝かせなくちゃ。

そして、立派な教育をしてくださる、あちらの園長さんに悪くて亨にいった。


「亨ちゃん、ほんとうのこと言っていい?


私ね、歌聞いたけど、


亨ちゃんは、歌より仕事のほうがいいみたい。


また仕事やろうよ。


そして、お金ためて私になにか買ってよ。」


「うん、まり子さんになにか買ってやろうかナ。」


「ハンドバッグがいいナ。」


「イクラくらいの。」


「うん。千円くらい。」


「よし、じゃ、働かなくちゃいけないな。」


「そうしなさいよ。私、そのかわり来月東京に帰ったら、亨のとこ行くね。


だから、すぐにお姉さんにつくってもらってなにか食べて寝なさい。


今日はなに食べたの?」


………


指導員に言った。


「今、聞いたとおりよ。

相当、躁状態ね」


「え、あんなのはじめてです。」


「うん、お薬をのんでいないようなら、発作がこわいから、


持っているかどうか、調べて。」


とにかく、五円玉2つと十円がわからない亨が


東京の世田谷からきたのだから、興奮しているのがあたりまえ。


東京の世田谷の奥から、たったひとりで、何人に聞いたのであろう。


「静岡のねむの木学園はどこ?」


「静岡のねむの木学園は?」


何人に断られたろう。。

何人に「知らないよ」と言われただろう。。


何人に笑われたであろう。。


…………


右手の悪い亨は、右肩が上がり、少しからだがゆがむ。


その肩の下がり具合に、ぺ-ソスが漂って、


十八番の「禁じられた遊び」を弾く亨が悲しかった。


聖書の中にある放蕩息子のことを思い出した。


私たちだけの力いっぱいの拍手をうけて、


亨は、うれしそうだった。



………



悲しいときは、相談してね、亨。


ここは、亨がいつでもきていい場所よ。


たどたどしいギター、


たどたどしいオルガン、

どうかうまくならなくてもいいから、


彼をなぐさめてほしい。

私より背の高い亨は


お母さんに連れられて東京に行った。









『ねむの木の子どもたち』より。


宮城まり子さん。。









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*本日のあじさい


親指姫のような小さな花の中のお花♪