狭いガラスの箱の中 | シン・135℃な裏庭。

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「まり子さん、カエル死んじゃった。


僕も、死ぬかな。


お父さん、死んでるかな」


私は、車イスにうつ伏せになるように座っているヒデトシが


なぜ、いつも「死」という言葉を多く使うか考えた。





私はヒデトシの生育歴を見た。


父、広島で原爆にあう。

のち、焼津の第五福竜丸で水爆にあう。


ヒデトシ、脳性マヒ、


行動意思マッタクナシ。

私は、ヒデトシの口から、死という言葉が多くて

あたりまえだと思った。

寝たり起きたりのお父さん。


お医者からお医者のお母さん。


ヒデトシくん、あたりまえだね。


死は、君のとなりにいるんだもの。


その晩、子どもたちが寝静まったころ、


カエルを見に行った。


弱りかかった死にそうなカエル。


私は庭に逃がした。


どこかに行ってほしかった。


また、ガラスの箱の中で死んだら、


ヒデトシが悲しむ。


今にも死にそうなカエルは、しばらくじっとしていたが、


やがて、草むらに消えていった。


「まり子さん、カエルいなくなっちゃった。」


「ヒデトシ、カエルね、きっと


すごい元気でガラスの箱を飛び出しちゃったんだよ。


ガラスの箱はせますぎて、


カエルは、外に出たかったんだ」


「どこかに行った。ピョンピョンと飛んだねえ。

今ごろ、どこかで遊んでるかな」


ヒデトシは楽しそうに笑った。


私は、ああよかったと思った。


でも、うそを言った私は、はずかしかった。


ヒデトシは、


今度は死なないものを飼うと言った。





からだを二つに折るようにして


無気力にじっと見ているヒデトシ。


さびしそうなヒデトシを見て、


私はたまらなくなった。




「飛行機見にいこうか」


「うん」


私は、御前崎の航空自衛隊を思い出した。


あそこには飛行機がおいてある。


あれを見に行こう。


元気なお兄さんがたくさんいる。


無気力なヒデトシに見せよう。





ヒデトシと私を、ジープで出てきた人が見かけて、声をかけた。


「あの、ちょっと見ててもいいですか?」


隊長に許可をもらってくださり、


私たちは、中に入れてもらって、


ちょっとの間だけど、


飛ばないけど、


ヒデトシはお兄さんに抱かれて


飛行機にのった。





そして、二人で学園に帰った。


家出した放蕩息子のように、


私は詫びた。


秩序を乱したんだもの。

あやまりながら、ほかの子を見た。


ヒデトシだけ、特別扱いしているんじゃないのかなと思われるだろうなと。


でもヒデトシの無気力を直すため、


かがみこむ形は、一分でもすくないほうがいい。

その翌年の夏。


ヒデトシは、砂丘を半分自力ではいあがった。


クソ、クソ、と、どなりながら。。


理学療法の谷岡先生が言った。


整形外科の河端先生が言った。


やる気さえおこしたら、

この子は自分の足で立てるようになる。。





指導員は、ヒデトシに言う。


わざと、


「ここまでこい、ヒデトシ、こられないだろ」


「なに、行くぞ」


「ここまでだぞ」


「くそ!」


ヒデトシは訓練した。


去年11月、


廊下で、職員の叫び声を聞いた。



「まり子さん、まり子さん、


ヒデトシ君が立ちます。

見てください」


私はとんでいった。


真新しい、補装具の重い靴をはいて、


ヒデトシは、はじめて、

自分の力で立って見せてくれた。


エイと。二秒くらいであった。


また、立ってみせようとするヒデトシ。


私は、涙があふれてきた。


「えらいね、ヒデトシ。

えらいね、ヒデトシ。」


涙とだぶって、中学一年になったヒデトシが、


赤ちゃんのように抱かれて


飛行機にのった四年前を思い出した。


カエルを思い出した。





ヒデトシは、今年中に、

自分で歩いてみせるという。


ヒデトシ君の生育歴の、

やる気マッタクナシは消して、


やる気、十二分にありと

書き直したい。


「今年中にきっと歩いてね」


「ああ、歩いてみせるとも」


ヒデトシは笑った。


「カエルのこと覚えてる?」


と聞いてみた。


「死んだっけね、


せまいガラスの中だから」



今のヒデトシに、



あのときの死のイメージは



まったくない。









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時々の初心より



宮城まり子さん