「まり子さん、カエル死んじゃった。
僕も、死ぬかな。
お父さん、死んでるかな」
私は、車イスにうつ伏せになるように座っているヒデトシが
なぜ、いつも「死」という言葉を多く使うか考えた。
…
私はヒデトシの生育歴を見た。
父、広島で原爆にあう。
のち、焼津の第五福竜丸で水爆にあう。
ヒデトシ、脳性マヒ、
行動意思マッタクナシ。
私は、ヒデトシの口から、死という言葉が多くて
あたりまえだと思った。
寝たり起きたりのお父さん。
お医者からお医者のお母さん。
ヒデトシくん、あたりまえだね。
死は、君のとなりにいるんだもの。
その晩、子どもたちが寝静まったころ、
カエルを見に行った。
弱りかかった死にそうなカエル。
私は庭に逃がした。
どこかに行ってほしかった。
また、ガラスの箱の中で死んだら、
ヒデトシが悲しむ。
今にも死にそうなカエルは、しばらくじっとしていたが、
やがて、草むらに消えていった。
「まり子さん、カエルいなくなっちゃった。」
「ヒデトシ、カエルね、きっと
すごい元気でガラスの箱を飛び出しちゃったんだよ。
ガラスの箱はせますぎて、
カエルは、外に出たかったんだ」
「どこかに行った。ピョンピョンと飛んだねえ。
今ごろ、どこかで遊んでるかな」
ヒデトシは楽しそうに笑った。
私は、ああよかったと思った。
でも、うそを言った私は、はずかしかった。
ヒデトシは、
今度は死なないものを飼うと言った。
…
からだを二つに折るようにして
無気力にじっと見ているヒデトシ。
さびしそうなヒデトシを見て、
私はたまらなくなった。
…
「飛行機見にいこうか」
「うん」
私は、御前崎の航空自衛隊を思い出した。
あそこには飛行機がおいてある。
あれを見に行こう。
元気なお兄さんがたくさんいる。
無気力なヒデトシに見せよう。
…
ヒデトシと私を、ジープで出てきた人が見かけて、声をかけた。
「あの、ちょっと見ててもいいですか?」
隊長に許可をもらってくださり、
私たちは、中に入れてもらって、
ちょっとの間だけど、
飛ばないけど、
ヒデトシはお兄さんに抱かれて
飛行機にのった。
…
そして、二人で学園に帰った。
家出した放蕩息子のように、
私は詫びた。
秩序を乱したんだもの。
あやまりながら、ほかの子を見た。
ヒデトシだけ、特別扱いしているんじゃないのかなと思われるだろうなと。
でもヒデトシの無気力を直すため、
かがみこむ形は、一分でもすくないほうがいい。
その翌年の夏。
ヒデトシは、砂丘を半分自力ではいあがった。
クソ、クソ、と、どなりながら。。
理学療法の谷岡先生が言った。
整形外科の河端先生が言った。
やる気さえおこしたら、
この子は自分の足で立てるようになる。。
…
指導員は、ヒデトシに言う。
わざと、
「ここまでこい、ヒデトシ、こられないだろ」
「なに、行くぞ」
「ここまでだぞ」
「くそ!」
ヒデトシは訓練した。
去年11月、
廊下で、職員の叫び声を聞いた。
「まり子さん、まり子さん、
ヒデトシ君が立ちます。
見てください」
私はとんでいった。
真新しい、補装具の重い靴をはいて、
ヒデトシは、はじめて、
自分の力で立って見せてくれた。
エイと。二秒くらいであった。
また、立ってみせようとするヒデトシ。
私は、涙があふれてきた。
「えらいね、ヒデトシ。
えらいね、ヒデトシ。」
涙とだぶって、中学一年になったヒデトシが、
赤ちゃんのように抱かれて
飛行機にのった四年前を思い出した。
カエルを思い出した。
…
ヒデトシは、今年中に、
自分で歩いてみせるという。
ヒデトシ君の生育歴の、
やる気マッタクナシは消して、
やる気、十二分にありと
書き直したい。
「今年中にきっと歩いてね」
「ああ、歩いてみせるとも」
ヒデトシは笑った。
「カエルのこと覚えてる?」
と聞いてみた。
「死んだっけね、
せまいガラスの中だから」
今のヒデトシに、
あのときの死のイメージは
まったくない。

時々の初心より
宮城まり子さん