☆play room☆ -89ページ目

戦いのスタート

動揺した 

親に何て話そうって思った

うれしいお知らせならいいけど、そうじゃないもん(-_-)

しかも母は調子悪いのに 娘が癌にかかったなんて そんな事話したらショックを受けるはず…

母がお風呂に入ってる間に父を部屋に呼び、封筒に入った診断結果を見せた。

「え?!。あらあら。これは、大変じゃないの!」

結果を読んだ父の最初の言葉。

冷静にふるまってたけど、驚いた様子。

診断結果の手紙には、  「説明しますので、一度お越し下さい」と書いていた。

母には、本当の病名は告げなかった。
調子悪いのに心配かけたくなかった。

だから「首の腫れをいつまでも抱えてても良くはならないから、悪性になる前に手術してはどうか?」って事にしようと、父と二人で口裏合わせをした。

いつも通りにふるまった。何にも気にしてないようにふるまった。

でも、部屋やお風呂で泣いてた。


翌日、説明を聞きに父と病院へ。

「びっくりしたでしょう?私もねぇ、すごくびっくりしてねぇ。」と先生。

結果。甲状腺乳頭癌。  今年中に手術が必要。

まず状態の説明。 
私の首の腫れ、約3~4センチ。甲状腺は蝶のような形で、片方を切除、摘出しても もう片方があれば甲状腺の機能を果たす事ができるということ。

首の傷。
10~15センチの術跡が残るということ。

先生は、        「あなたはまだ若いし独身なんだから、夏とかは少し開いた服も着たいだろうし、死ぬまで傷とつきあっていかないといけなくなるんだから適当には縫いたくない。丁寧に縫いたいから、私が執刀する時は縫うのに時間をもらいますよー。」と言ってくださった。

それと先生の娘さんと私の歳が同じということを言っていた。

うれしかった。何だか親近感がわいた。

それと、“もしも”の話。
手術時間はおよそ、遅くても4時間程度。

開いてみないとわからないが、もしかしたらリンパ節へ転移してるかもしれないし、声を出す役割の『反回神経』にまで腫瘍が癒着していたら反回神経も切除しないといけなくなるということ。

反回神経はのどの骨の左右対称にあり、片方を失えば声のかすれ、出にくくなる。高い声が出なくなる。

人によっては 反回神経切除というカタチになるかもしれないから、それは覚悟するようにと言われた。


帰りの車の中で、私も父もお互いに何事もないような顔して、普通に話した。
なんだか、父の気持ち考えたら痛かった。

ごめんね、私、心配かけてばっかりだ。

そんな言葉 素直に言えるタイプじゃない…( -_-)


たいしたことはないはずって思ってた
すぐ復活できるって思ってた。

次の日、会社と上司に言うのが言いにくかった
忙しいのに 無理言えないよ…
「3月までは忙しいから、4月から入院させて下さい」って言った。

「何、のんきに仕事してんだよ!!後で取り返しつかなくなっても会社は面倒見てくれないんだよ!」

ありがたかった。ほんとに。

そして、次の休みにまた病院へ行き、入院する病院と入院日、手術日が決まった。

私のかかりつけの病院は個人病院。

その担当医が第一助手として執刀してくださる病院は2か所。

それ以外の病院は紹介状を持って知らない先生にお世話にならないといけなくなる

そんなのイヤだ!(T_T)
知らない先生は困る!私、先生にお願いしたい!

病院を選択した。
その病院の名前も場所も知らない。聞いたことない(*_*) けど不安はなかった。

1月27日。私は入院した。
手術日まで2日間あった。たくさんの検査を受ける為。

この病気以外何ともないと思っていた…。

心電図検査…      不整脈という診断。

入院した病院の担当の外科医師から、「この状態では手術中に心停止の可能性が出てくるので、紹介状を渡すから診察を受けてきて下さい…」と言われ、手術は延期になった。。

足のつけ根からカテーテルを入れる事になると思う、3、4日、その病院に入院する事になると思う。
とも言っていた。

2月3日。ひとまず退院。
後日、心臓系で有名な総合病院へ…。

また検査。
朝から行ったのに、診察も含め、終わったのは夕方…
やっぱり不整脈は出てたようで、言われたとおりのカテーテル手術を受ける事になった…。自覚症状は全くない

カテーテル手術は予約でいっぱいらしく、最短でも2週間後らしい。
それまでおうちで療養。

2週間後。心臓系で有名なその病院に入院した。

何ともなかった5年間。。

自覚症状はほんとになくて
何ともなくて…

だから、一番最初に診断された時、先生が言ってた「首の腫れは今のところ良性だから、半年に一度検査して異常なければその腫瘍と『一生おともだち』でいるか、どうしても腫れがイヤなら手術するかだけど、でも傷が残るよー」

首に傷なんかありえない!私は先生が言ってた『腫瘍と一生おともだち』で居る方を選んだ。。

おとなしかったはずの一生おともだちで居てくれるはずのおできは、いつからかカラダの中で癌に変わってったんだなぁ(T_T)

まさか、私が癌になるなんて(-_-)!!
『癌』…。芸能人とかかかってたりってテレビでよく言ってるけど、周りにかかってる人はいないし、私の歳では早すぎる。もっと大人な人たちの病気じゃない??って他人事のように思ってた。
5年の間にいろいろ辛い事ありすぎて、ココロが痛くて、たくさん悩んで、たばこの本数増えたのと、お酒のんだりしてたのも悪化させた原因だと思う。
辛い心を、なんとかまぎらせようとしてた。頭ではわかってるけど、心ではわからなくなってて。。。


まさか5年後、こうなるなんて夢にも思わずに

たばこ 酒 コーヒー 残業 遊び 睡眠不足の繰り返しでカラダにやさしい事してなかった…(-_-)

サプリメント ずっとのんでたから安心してた


「私は大丈夫!」

過信しすぎてた。

半年に一度のペースで受けてた検査は

病院が遠くてめんどうな気持ちもあり、だんだん足が遠退いて行かなくなっていた

2007年1月。

父が定期的にかかっている病院に車で送って行くように言われた

父の行くその病院は待ち時間が長い総合病院。2時間は間違いなく待たされる。

その病院の近くに私のかかりつけの甲状腺専門医の居る病院がある

待ちの間に検査に行ってこようかなぁ?大丈夫だろうけど(^-^)v

軽い気持ちで久しぶりに検査に行った

私のかかりつけのその病院は、毎日たくさんの患者さんがいろいろな地域からやってくる。
その日も待合室はいっぱい!(◎o◎;)/。。。よく、おじいちゃんとかが「まだかぁー?!」ってキレてるところを 他の病院で見たりするけど
その病院ではそんな姿を一度も見たことがない

すごくやさしい先生で、一人一人を丁寧に診察するからだと思う

1時間、2時間待ちになっても、「ごめんなさいね、お待たせしました」って言ってくれて。そんな事言ってくれる先生なんか今まで会ったことないから 最初にかかった時はびっくりした!

私の名前がようやく呼ばれた。

触診…。
腫瘍の大きさは変わってないようだ

エコー検査。
すぐ終わってた検査が これがどうも気になるなぁ?って なかなか終わらない。

まさか?! いやいや、ありえんありえん!


細胞診することになった。腫瘍の部分に注射針を刺し、回しながら細胞組織を抜き取る。

組織が取れなかったみたいで2回、針を刺した

血液を抜いて検査は終了。結果は郵送して下さる。


なんかイヤな予感…。

イヤな予感も忘れた3日後、仕事から帰ってきたら悲しい知らせの封筒が届いてた

部屋で一人、泣いた。

「甲状腺乳頭がんという、非常におとなしい性質のがんであると診断しました。」

目を疑った。ひらがなで 「がん」と書いてあったから            「~が…」の読み間違いであればと 何度も読み返した

泣いた。                    ここからが 戦いの始まり。

私の声わかりますか?

病気で仕事を休んでるからたまに昼になかよしのちーちゃんが電話くれる

今日は相談。面接を受けに行ったけど おうちが遠いってダメだった…。と。

事前に連絡した時には 交通費出したくないから 近所の人がいいなんて言ってなかったのに!とも言ってた。

なんだ?!そりゃ?   おかしなハナシだ(*_*) 
手術する前の勢いで 相づち打ったりしてるけど、声が出にくいから聞き取りにくいだろうなぁ(T_T)

半年もすれば もう少し出るようになるよ!
先生のハナシ…

ほんとに?!今ほとんど出ないんだよ!好きな仕事に就いてるから落ち着いたら復帰したいけど…

首から上、首から下は元気。首が問題。

私、癌にかかってました。甲状腺乳頭癌。首ににわとりの卵くらいのしこりに気づいたのは、5年前の夏の事でした。        仕事中に首がかゆくなってさわったら違和感があって…。あれ(?_?)

蚊に刺されるとすごく腫れる肌質だから、またそんなもんかなって思ったけど、刺した後はないし かゆかったのは一瞬だけで。。
隣の売場の人に何だろねぇこれ?って見せたら 医務室にすぐ行くように言われた

医務室の先生から早退をすすめられ、内科に行った

「うちでは診れないから、専門医に行って下さい」

「甲状腺の疾患のようです」紹介状を渡された。

その病院から確かバスに乗って、それから歩いて、今 お世話になっている専門医に行ったと思う。

エコー、細胞診、血液検査、触診…。

結節性甲状腺腫 という診断

良性の腫瘍、ようはおでき。半年に1度、検査をするように言われた。

初めは、その腫れがショックだった。

その腫れを人に気づかれたくなく、目線をそらせる為に一つか二つくらいしか持ってなかったネックレスが 気づいたら たくさん増えてた。

でも、ここ何年かはその腫れは気にしなくなってた。ヘンなハナシ、長年いろんな苦労をともにした友のような愛着もわきつつあった。甘く見てた。

それがここまで悪化させた原因。半分声を失った原因。