死別の現実に


ずっと向き合うのは辛いから


少し他のものに気をそらす


他のことをして気をまぎらわす


なんてことをたまに聞く。




かつての私は突然大切な人が


目の前でなくなり


長い間思慕に苦しんだ。




そばでみてきた親友も


数年経ってて  そろそろ…とか


いい加減にしたら…とか


内心思っていたかもしれない。




親友よ 根気よく


つきあってくれてありがとう。


魂の悲鳴だったから。


ごめんなさい。





突然いなくなった不安、怖さ、心細さで


到底 安心できないから


何かしら故人と接点をもち続けたいと


すがるような気持ちで





接点があれば


何とか生きながらえるかもと


無意識に思ってて





一週間の忌引のあと


休むことを拒否するように仕事にきていた。






大切な人の影のある職場が


思い出カプセルとなって


私はそこに逃げ込んだ。


ある意味心のシェルターだった。





なのに、その思い出カプセルは


逆に


どこにもいないと思わされる場所で





急変やら看とりで


ちょっとでも気をゆるめると


あの人の救命の自分の敗北を思い出す


もの凄い悼みのある場所だった。






現実に向き合うことから避けるために


逃げ込んだ場所が


結局、現実の悼みを


まともに食らう環境でもあった。


でも、思い出や影があるので


離れられないという





よくもまぁ…


このアンバランスの中で


どうして耐えられちゃったんだろう。


本当に私という人は。





ある日




一回忌を前にして


管理者に呼ばれた。




病棟を離れて


都心へ指導者研修に3ヶ月行ってこいと


いうものだった。




多分、


(ちゃんと休んでないから休みなさい)


という好意だったのだと思う。





とっさに 



(そんなこと頼んでないおーっ!!!)

(何してくれるんだ!!)

(いたみを感じるじゃないか!!)と



半ば怒りのような悲しい感情がわいた。






ギリギリの自分の心の均衡を

他人から崩されることって

本当にしんどい。





研修に出るということは、、、




他人によって思い出カプセルからおん出され


有り余る時間のなか確実に死別と


対峙しなければならないということであり。


怖くて憂鬱になった。






常に、ミスだけは絶っっ対に


してはならないと気張っていたのに


やっぱり私、声をかけられるくらいなら


端から見て相当ヤバかったのかな


…とも後で考えた。





でも、、、





自分からカプセルを出る勇気もなかったから 


今となっては


これが正解だったのかな。




グリーフから回復していくために必要な


「現実を認識し受け入れるということ」


一番難しいとされること。






その時間はとれているほうが


よいと言われる。





でもそれは同時に悼みがあるから


しんどい。





やっぱり独りではなくて


その時 誰か、何かの


サポートがあれば。





安全な第三者と一緒に

思い出カプセルをあけて

姿、かたちをみながら

グリーフワークできる。




そして、無理は絶対にしない。




「使っても使わなくてもいい」


「つらくなったら行けばいい」




お守りのようなサポートの存在は


やっぱり必要だな。





あの頃に、ほんと、




つきあかりや

つきあかりの保健室みたいなサポート






欲しかったよーーーーー。