5連休が終わってたった2日間仕事に出ただけなのに疲れが中々取れないです。

こんな陽気だからでしょうか。


線状降水帯の発生で豪雨がまたさらに災害を齎すような勢いで降り続けています。

佐賀では危険水位を越して氾濫があったと情報で知りました。

どうか、避難指示が出ておられる地域にお住まいの皆様、様子を伺う事なくご自分の命、家族の命をお守りください。


日本は今、凡ゆる困難の中にいます。

先日の御施餓鬼の投稿の中で冊子の1ページを載せました。そこに『与え合う、支え合う』と言う言葉に強く心を打たれました。


困難な中にいると様々な差別や偏見や妬みが生まれる様になり、人とのコミュニケーションが出来にくく、とても生き辛くなっていきます。


私自身、今、大きな『困難』に値するものは無いです。(膝が痛くて歩きにくいと言うことはそれに値しないですよね?ニヤニヤ

少しばかりの自分の持っている心の余裕を与え、支えてあげる。たとえ、それがドアを開けてあげることや『どうぞ』と譲ることでも良い。ほんの少しの会話でも良いと思うのです。

まさに『心のバリアフリー』ですよね。


自分の中に不都合な事やギスギスしたものが大きくなって人に当たるなんてもっての外。でも、そう言った光景を沢山見ています。


本来、『心のバリアフリー』って身体に障害を持っていたり、高齢者へ向けてのことなのかもしれないけど、コロナ禍から苦境に立たされていることがきっかけで何らかの困難に陥ってる人に対してもそうなのかも知れない。コロナ禍で仕事に制限をかけられていたり、人が居なくて思うように進まない仕事もそうです。


『人々の多様な在り方』を相互に認め合い、其々の考えを理解し合える、そんな風になったら生きやすいですよね。


私は母がいた頃、本当に心が小さかった。

苦しい、辛い思いを沢山させてきて、亡くなってみて、わかることが本当に多いんです。

母が自分の死を持って私に教えてくれていると今、そう感じています。


先日、エレベーターに乗った時、お爺さんとお婆さんが開いたエレベーターの前で乗ろうか?乗るまいか?相談していました、『乗りますか?』と声を掛けたらお爺さんだけ乗りました。するとお爺さんが『なんだかね、1つ買い忘れたものがあったんだって、近所でまた買えば良いのにね』って見ず知らずの私に話してきました。


私が『ついでですものね、お母様の気持ちもわからなくも無いです。笑 また、お出かけになるのも暑いですし』と言ったら『そうだね、ありがとう』とお爺さんが返事をしてくれて。


その対話後の私はとても心地良かったです。


人と人とのコミュニケーションってこう言うことなのかなぁ。って


特別でも何でもない会話も『与え合う、支え合う』ですね。



(火曜日まで人権啓発標語考えなくっちゃ!)