私が海外留学を検討していた2001年、アメリカ同時多発テロが発生し、北米海外留学のリスクを強く感じていました。私が所属していた大学整形外科教室から海外留学するには、以前から繋がりのある米国ラボに順番で行くか、自分で手紙(CV)を送付して応募するかです。私は脊髄損傷研究に興味があったので、北米を中心に6つ程度のラボへ経歴を記載し応募しました。その結果、米国ラボは月数万円の条件で、カナダ・トロントは無給なら可能である旨の返事をもらいました。アメリカ同時多発テロと炭疽菌事件でアメリカ社会が混沌としていたので、無給であるものの比較的安全なカナダ・トロントに決めました。そのため今まで以上に節約し、約600程度の貯金を元手にカナダに旅立ちました。トロント大学ラボの教授は世界的に有名な方で、日本医師免許と博士号そして日本で行った英語研究論文が大きな信用となったようです。

2001年頃は現在のようにネットが発達していませんでしたから、トロント大学在住の日本人研究者の英語論文を検索し、記載されたメールアドレスに連絡して日本人コミュニティに参加しました。そしてそのネットワークを利用して現地不動産屋を紹介してもらい、渡航前に入居先を決めました。現地に行くまで治安の悪さを心配していましたが、カナダはとても治安が良く、トロント中心部は大都会で交通の便も良く、人々はとても親切で過ごしやすい街でした。チャイナタウンも近く、日本人の口に合う安い食材を見つけて購入していました。

ラボではラットを使った脊髄損傷実験を行い、土日は他スタッフと交代でラットの世話をしました。ボスもラボスタッフもみんないい人たちで、仕事は順調でした。しかし収入が無く毎月貯金が減ってゆく生活は不安感が強く、ちょっとの損で気持ちが沈むようになりました。実際に現地生活を送り1か月経費を計算すると、留学予定2年間の生活は十分可能でしたが、人間は不安が強いと笑顔を失い小さな事に拘り始め次第に幸福感が下がっていきます。半年経過した頃にはイライラが強くなり、楽しかった研究すら辛くなり、ラボを辞めたい気持ちが増してきました。9か月経過した頃に米国学会に参加し、学会場の掲示板で条件の良い求人があり、早速公衆電話でアポを取り学会参加中に面談しました。先方は大きなグラント(研究費)が取れ、新しいラボでラットを用いた実験を開始するようで、ラットの麻酔や手術が出来る中心的スタッフを募集していました。トロントでのラットを使った脊髄損傷研究、麻酔や手術、術後管理、データ採取と評価の経験を伝えると、その場で破格の給料で採用が決まりました。初見にもかかわらず、ここでも日本医師免許と博士号(ダブル・ドクター)、英語論文、世界的に有名な教授のもとでの研究経験が高い信用をもたらすことが分かりました。

米国ラボはゼロからのスタートで、スタッフルームを設置し、中古品を扱う会社倉庫に出向き手術台、手術・麻酔道具などの必要機材を購入しました。実験は自分が主体となって一回り若い学生さんと一緒に行い、時には徹夜することもありましたがとても充実した日々でした。

留学前に留学経験者に海外留学は楽しかったか?と聞くと、誰しもが楽しかったと言っていたので、さぞかし毎日が夢のようと考えていましたが、予想以上に最初の一年は苦労しました。しかしカナダはまた訪れたい場所で研究自体もやりがいのある仕事でしたし、アメリカでは良い研究結果も出て給料も貯金できるほどで十分満足しました。また英語がネックでカナダ移住者用無料英語教室に通いましたが、なかなか上手にはなりませんでした。一方、妻はもともと英語が好きだったこともありどんどん上達しました。アメリカラボ教授に自分の英語能力の無さを相談したところ、「あなたは医師であり博士号を保持するダブル・ドクターで、これだけの実験を行うことが出来る。英語が流暢でなくてももう十分ではないのか?」と諭され、人間は完璧ではないのだと理解しました。

これから生きていく若い人たちには“留学は楽しい”とは言わず、“異国生活は辛いこともあれば楽しいこともある”と説明するでしょう。カナダ留学1年の消費金額とアメリカ留学1年半で得た給料、消費金額を計算するとほぼトントンですが、辛い経験、楽しい経験、様々な人との出会い、家族旅行などなど、得る事はとてもいっぱいです。そして何人種であっても、同じことに悩み、腹を立て、喜びを感じ、悲しむこともよく分かりました。これらの異国の地で得た経験は、日本に帰国してからの自信につながりました。そしてこのような経験が出来たのは非常に幸運で、誰からも奪われる事のない大きな財産です。

 

次回は「私の病歴書:整形外科医が鬱っぽくなりまして 」です。