23「 スポ根 」
極限のプレーが人々を魅了するスポーツは、近年のトレーニング科学の“進化”の恩恵が大きい。そのトレーニング科学の進化は、選手たちをより高く、より速く、より遠くへと押し上げる。しかしその光は、同時に濃い影も落とす。ボクサーの脳、投手の肘、サッカーやウインタースポーツを愛する若者たちの膝の靭帯や半月板。それらはまるで、過剰な負荷をかけられて摩耗していく工場のパーツみたいに、年を追うごと、そして使えば使うほど壊れていく。メディアはそれを容赦なく消費し、使えなくなった投資商品は静かに市場から回収される。
スポーツと根性、それは奇妙な組み合わせだが、納得できることもある。整形外科の診察室に座っていると、その信仰がもたらした歪みが、まるで古い地層のように次々と目の前に現れる。しかも、その地層は年々若返っているようだった。その一方で、部活の地域移行なんていうお役所仕事のせいで、スポーツを全くしない子供たちが急増している。スポーツの世界は綺麗に二分割され、その間に冷たく深い溝が走っている。一方、小学校や中学校の運動場で見かける子供たちは、まるで注意深い小動物のように、親の顔色を窺っている。彼らは親を喜ばせるために、自分の限界のネジをもう一巻き締め直す。しかし親たちは、他人事のように自己弁護の言葉を口にする。
「いや、子供がどうしてもやりたいって言うものだから」
彼らは自分が招いていることの悪質性を認めようとはしない。
高校生にもなれば、肉体はより高度な領域へと達し、怪我の質もプロ並みに深刻化する。プロへの切符や、大学の推薦という甘い蜜の匂いが、親たちの、そして学校の実績作りの欲望を激しく揺さぶる。実に質の悪い話だ。
* 硬式テニス *
清流の二人の息子たちも硬式テニスをしていた。特に次男は、テニスというスポーツと相性があったようで、小学三年生で地方ブロックに進んだとき、コーチは「錦織以来の快挙だ」と言い、清流の頭の中にも「もしかしてプロに……」という淡い霧のような期待がよぎった。
地方大会に進むには、県代表になるか、地方で行われる大会で十分なポイントを貯めるかだ。地方大会のポイントを稼ぐためには、毎週土曜の早朝から車を走らせ、勝てば見知らぬ街のビジネスホテルに泊まり、負ければその日のうちに引き返す必要があり、それはまるで根無しの浮草生活だ。仕事上、さすがにそんな生活は出来ないから、あくまで県代表を目指し、県内1位になれば数か月前に予定を組んで遠征するようにしていた。それでも、片道数時間の移動、炎天下や極寒のコートの傍らでただじっと待つ時間は、清流の肉体から確実に何かを削り取っていった。
* ライバルの離脱 *
ある時、県内ライバルである少年の祖父が、清流に唐突に話しかけた。
「県内で一番になったくらいで満足しちゃいかん。もっと外の世界に触れさせんと」
清流はその時、その言葉が自分に投げかけられたとは思っていなかったが、ホテルに帰るころに自分への苦言であると理解した。
「自分には自分の限界がある。出来ないことは出来ないのだ」
と自分自身に言い聞かせながら、ホテルのベッドで目を閉じた。
それからしばらくして、そのライバルの少年はテニスのやり過ぎで膝を壊し、半年間、彼はラケットを握れなかった。コートに戻ってきたとき、彼の放つボールからはかつての鋭い輝きが失われていた。そして、あれほど熱心だった彼の祖父も、いつの間にか会場から姿を消していた。まるで最初から存在しなかったみたいに。
周りを見渡せば、腰椎分離症や疲労骨折で、有望な若者たちが次々と戦列を離脱していく。幸いにして、清流の次男はどこまでもマイペースな、言ってみれば「気まぐれな柴犬」のような少年だった。彼は周りの熱狂に耳を貸さず、自分がやりたいときにだけラケットを握った。だから怪我とは無縁だった。
ある日、試合の時間になっても次男がコートに現れないことがあった。慌てて駐車場に戻り、車のドアを開けると、彼は後部座席で実に気持ちよさそうに深い眠りについていた。その無垢な寝顔を見た瞬間、清流が朝早くからハンドルを握り蓄積した疲労が、炭酸ガスのようになって一気に噴き出した。案の定、その後の彼の動きは重く、予想通りの惨敗を喫した。帰りの車内を支配していたのは、まるで深海のような、暗く、重苦しい無音の世界だった。
* 熱中のあまり熱中症 *
父親がテニスのコーチで、中学二年間をオーストラリアへのテニス留学に捧げた少年がいた。清流の次男とは対照的に、彼は父親の言葉をまるで聖書の一節のように愚直に守る、実にあきれるほど真面目な少年だった。近頃の夏の暑さは、コートの上で目玉焼きが焼ける、という都市伝説が真実味を帯びるほど苛烈だ。勝ち進めば、その灼熱地獄が三日間続く。
ある日、その父親が清流のところにやってきて、ひどく落胆した声で言った。
「僕の管理不足です。あの子、熱中症になってしまいまして」
「病院には行かれたのですか?」と清流は医者として尋ねた。
「ええ、点滴を打ってもらって、今はホテルのベッドで横になっています」
「それは大変でしたね。でも、大事に至らなくて本当によかったですね」
当然、これからの試合はすべて棄権だろう。全国大会への道は途絶えたな、と清流は心の中でつぶやいた。
ところが翌日、再び彼に会ったとき、父親の口から出た言葉は清流の予測を裏切った。
「なんとか今日もコートに立てましてね。無事に全国大会への切符を手に入れましたよ」
もし清流がただの「チチ友」であれば、「おめでとうございます、よく頑張りましたね」と微笑んで手を差し伸べただろう。しかし、清流は医師だ。清流の喉の奥で、言葉が冷たく凍りつき、適切なフレーズを見つけることができなかった。
* 夏休みのプール開放 *
清流が小学生だった頃、夏休みには学校のプールで泳ぐことが出来た。決まった時間に地区の集合場所に集まり、親たちに引率されて一時間ほど水と戯れる。帰りの道すがら、プールで冷え切った身体にじりじりと照りつける太陽の光は、どこか奇妙に心地よかった。日中のもっとも過酷な時間帯、扇風機の上に氷を置いて、溶けた冷たい雫が生ぬるい風とともに清流の身体に降り注ぐ。夕方になって風が生ぬるさを失うと、ようやく友達と路地裏に繰り出したものだ。
現代の夏は、ただただ異常で、扇風機は無力化され、外に出るにはそれなりの覚悟を要求される。そんな中で行われる真夏のスポーツ大会は、屋外であれ屋内であれ、人間の肉体を極限まで摩耗させる危険なゲームに他ならない。
* 根比べ *
清流は中学生のとき、剣道部に所属していた。当時の世界では、水を飲むことは許されざる罪であり、隠れて蛇口に口を寄せているのが見つかれば、それなりの「報い」が待っていた。清流らはそれが精神を鍛えるための正当な修行だと、脳の隅々まで刷り込まれていたわけだが、今にして思えば、あれはただの危険な虐待行為だ。
時が変わって、自分の息子が灼熱のコートに立つときは、細心の注意を払って熱中症の兆候を見張る。そしてもし彼が倒れるようなことがあれば、最低でも一週間は静かな部屋で休ませるだろう。翌日に再び彼を太陽の下へ送り出すなんて選択肢は、清流の医学書には存在しない。
以前、あの留学帰りの少年の父親は、清流にこうアドバイスしてくれた。
「小学生のうちはね、やればやるほど伸びるんですよ」
しかし、そこまでして肉体を担保に差し出さなければ「全国」という場所に行けないのだと知り、清流の胸の中で燃えていたテニスへの情熱は、実にあっけなく冷めてしまった。それはもう、テニスという美しい球技ではない。ただただお互いの肉体の限界を削り合う「根比べ」という、まったく別の危険な競技なのだ。
* 親への忖度 *
小学校低学年の頃から、毎週のように遠くの大会へ遠征し、そのたびにどこかしらを痛めて清流の診察室に駆け込んでくる親子がいた。清流はその都度、父親に言った。
「休養もトレーニングの一部ですよ。少し休んだほうがいいのでは?」
しかし父親は、清流の言葉を撥ね退けるように言った。
「子供がどうしてもやりたいってきかないんですよ。僕が無理強いしているわけじゃないんです」
結末は目に見えていた。その子は小学校高学年になったとき、腰椎分離症を患い、半年間の運動停止を余儀なくされた。気の優しい子供であればあるほど、親の期待という見えない重力に逆らえない。それはすべてが無意識下に行われるから、本人も「自分がやりたいから」と誤解している。無理をして結果を出し、親が笑顔を浮かべれば、子供はさらに自分を追い詰める。反対に結果が出ない時、親の落胆した顔を見て自分を責める。そして最終的に子供の肉体が悲鳴を上げ、親子は揃って冷たい現実の床に叩きつけられるのだ。
スポーツの世界でひとかどの成績を収め、プロとして生きていける人間なんて、ほんの一握りに過ぎない。大谷翔平のようになれる確率なんて、何億円もの宝くじに何度も連続で当選するような、天文学的なレアケースだ。しかし、メディアが連日のように彼の完璧な姿を映し出すものだから、人々は錯覚してしまう。「もしかしたら、うちの子も」と。その期待は、静かに、しかし確実に子供の肩に重圧としてのしかかる。
あの父親の言葉を少し借りるなら、小学校時代というのは、ある程度の才能と練習量さえあれば、面白いように結果が出るものだ。だからこそ、親も子供も「希望」という名の、いつの間にか意識を奪う麻酔を打たれた状態になる。その麻酔効果はいずれ切れ、そして目が覚める。やり過ぎて身体を壊し、無理を重ねて症状が悪化し、医師から「ドクターストップ」を告げられ、「ジ・エンド」となる。
とはいえ、清流自身もかつて「うちの子も、もしかして」という甘い夢をみていた。だから、他の親たちを声高に責める資格なんてない。むしろ、いくら医学的な知識を頭に詰め込んでいようとも、我が子への盲目的な期待という代物は、人間の論理的思考をいとも簡単に狂わせてしまうという事実を、清流は身をもって知ったのだ。
今朝も、通勤の途中、黄色い帽子をかぶって列を作って歩く子供たちを見かけた。
彼らにはそれぞれの個性があり、好き嫌いがあり、得意不得意があり、それぞれに異なる速度の成長時計を持って生きている。それなのに、彼らを育てる親たちは、今日も「うちの子も、ひょっとしたら」という、あの甘美で危険な誘惑に引きずられているのだろう。
世界には星の数ほどの子育て本があふれ、インターネットには洗練された育児論が転がっている。それなのに、親たちの苦労や深い悩みは、いつまでたっても尽きることがない。
そのどうしようもなく不完全な現実を目の当たりにして、清流は車のハンドルを握りながら、なんだか少しだけ救われたような静かな気持ちになっていた。