余命3年の前立腺がんとの闘病日記 -59ページ目

我々は生きるだけで価値がある、病気と闘うだけで意義がある

イメージ 1

 私は病友諸君に、何とかして生きるだけで価値がある、病気と闘うだけで意義があるということを気がついてほしいのです。それこそ病気で労働が不可能になり、所得税を納めていなくても、我々は病気と闘うだけで、人類の進化に貢献しているのだと。

 それこそ私は46歳、母は72歳で父は80歳です。それこそ本当に私を介護してくれる両親は先が長くないのです。それこそ最近父は、足腰が弱くなり、今度は私が病気のみで、父を介護しなければならないことも覚悟しないといけません。

 そんなときにふと思うこともあったのです。それは私は病気のままで、ただ年をとっていく人生には耐えられないと。だから両親が死に、私が死んでもだれも悲しむ人がいなくなったら、私は自ら命を絶とうかとも思っていたのです。

 そんなときにふと私は以前から精神病と人格障害は違うということで訴え続けてきた、人間だけが持つ哀の感情、やさしい気持の存在に気がついたのです。それならば人類は、決して欲ではなく、この人間だけが持つ哀の感情、やさしい気持のおかげで進化をしてきたのではないかと。

 それこそ私は、私の未来の悲惨さよりも、街や病院で見かける重度の障害児に心を動かされることが多かったのです。それこそは頭が大きなスイカのように膨れ上がった水頭症の子供や、20歳を超えても、1歳未満の知能しかなく、それゆえ道端の泥や、犬の糞でも平気で口に入れてしまう重度の知的障害者を見るにつけ考えさせられたのです。

 それは今、この子たちを目の中に入れても痛くないほど可愛がっている母親が死んでしまったら、いったいこの子たちはどうやって生きていくのだろうかと。それこそ特殊な施設に入れられ、私と同じように、ただ年をとって死んでいく人生を、いったいどうやって肯定すればいいのかと。彼らに生きる価値はあるのかと。

 だからこそ私は病友諸君にぜひとも人間だけが持つ哀の感情、やさしい気持の存在に気がついてほしかったのです。それこそはあなたはなぜ、交通事故などでの血まみれの被害者などの凄惨なシーンを見れば、激しい嫌悪感に襲われるのでしょうか。

 それこそ本来ならばその激痛に苦しんでいる被害者にかわいそうという感情が起きるでしょう。しかしなぜ彼らに対して、激しい嫌悪感、それは悪い言葉でいえば気持ち悪いという感情が起きるのでしょうか。

 それこそはあなたには人間だけが持つ人の痛みを感じる感情、哀の感情、やさしい気持があるからだと気がついてほしいのです。それこそその哀の感情が、その血まみれの被害者の苦痛を、あまりにも激しく感じてしまうために、かわいそうではなく、激しい嫌悪感を抱くことに気がついてほしいのです。

 それは人間だけが持っている感情、精神機能なのです。それはどんなにやさしそうに見える動物、それこそウサギや羊にしても、仲間が肉食獣に襲われ、内臓を食いちぎられ、のたうちまわっていても、もう自分に危害が及ぶ恐れがなくなったら、それこそその近くでまた草を黙々と食べ始めます。だからこそこの血まみれの被害者を見て激しい嫌悪感を抱くのは、哀の感情、やさしい気持を持った人間だけだと気がついてほしいのです。

 それならばなのです。それこそ人間がここまで進化が可能だったのは、それこそその哀の感情、やさしい気持の存在ゆえに、この世界からあらゆる悲しんでいる人、苦しんでいる人を救おうという進化の意思があったからだと気がついてほしのです。それこそ自分の利益のためにならば、どんなに人を悲しませても、苦しめてもいいという、自己中心的な欲から進化をしてこなかったことに気がついてほしいのです。

 それならばなのです。我々病気や障害で苦しんでいる人は、生きるだけで価値がある、病気と闘うだけで意義があることに気がついてほしいのです。それは人類は、我々社会の弱者、病気や障害で苦しんでいる人を救おうと進化をしているからです。それゆえ、我々がいなくなったら、人類は進化が不可能になるのです。それは人類が進化が可能なのは、我々病者や障害者が、存在するからです。それこそ我々病者や障害者が、毎日病気の苦しみにも負けずに、生きているからなのです。

 だからこそわれわれは、たとえ労働をしていなく、所得税を納めていなくても、生きるだけで価値があるのです。病気と闘うだけで意義があるのです。だからあなたは、どんなに苦しくても生き続けないといけないのです。それに気がついてもらうために、病友諸君にはぜひとも人類の進化の意思に気がついてほしいのです。