実家の窓から見える山々は、夕暮れになるといくつもの色に染まる。子どもの頃、私はその移り変わりを「もっと赤く」「今は紫に近い」などと言葉で記録しようとして、いつももどかしさを感じていた。色を言葉に置き換える作業は、どこかで本質を損なうような気がして。絵を描けばよかったのだが、私の手は繊細なニュアンスを再現するより、理系の実験レポートの図表を描く方に慣れていた。

 

今、私はその山々を遠く離れた都会のアパートで思い出す。兄が営む小さなカフェ「KOMOREBI」の一角を借りて、初めての長編小説を書いている。パソコンの前に座り、登場人物が目にする風景を描写しようとするたび、あの子どもの頃の「もどかしさ」がよみがえる。読者の頭の中に、私が見ているのと少しでも近い色を灯すことは可能なのだろうか。

 

ある雨の午後、カフェが閑散としている時間に、兄が悩みながらパソコンをいじっている。


「どうしたの?」


「いや、今月のカフェのSNS投稿用の画像なんだけどさ。『冬の温もりと、新しい豆の香り』ってコンセプトで文章はできてるんだけど、これに合う写真が一枚もなくて。ストックフォートは味気ないし、自分で撮るにも雰囲気が出ない」


兄は、かつてこのカフェのロゴをAIロゴ作成ツールで作り上げたときの、あの創造的な興奮を覚えているのだろう。今度は「画像」で壁にぶつかっていた。

 

その時、ふと私の頭に、先日ゲームのアイコンを自作している友人から聞いた話が浮かんだ。テキストで説明するだけで画像を生成できる、AI画像生成ツールがあるという。


「もしかしたら、それでやってみる?」


兄と一緒に、VisualGPTというサイトのページを開いた。シンプルな入力欄が一つ。


「えーと、どんな文章を入れればいいんだろう」


「兄さんがさっき言ってたコンセプトを、そのまま具体的な情景に翻訳してみたら? 『AI画像生成ツール』は、言葉を解釈して形にするのが仕事みたいだよ」

 

兄は考え込み、キーボードを打ち始めた。「木漏れ日の差し込むカフェの窓辺。テーブルには温まった陶器のカップ。その横に、少しだけこぼれた焦げ茶色のコーヒー豆。背景はぼんやりとした、雨の午後の窓。全体は、褪せた絵本のような温かい色調で」

 

少し緊張しながら生成ボタンを押した。


数秒後、表示された4枚の画像に、私たちは顔を見合わせた。

 

「……すごい。これ、全部、文章から作ったの?」


一枚は、光の粒子まで丁寧に描かれた写実的な水彩画風。もう一枚は、よりイラスト調で、どこか懐かしい絵本の一場面のよう。どれも、兄の文章が持つ「温かみ」と「冬の温もり」という抽象的な感情を、驚くほど的確にビジュアルの「温度」に変換していた。完璧な写真ではない。けれど、それゆえに、ストックフォートにはない、物語性と独自の空気感が漂っていた。

 


「これだよ、これ! この感じ!」兄は目を輝かせた。「写真を探すんじゃなくて、イメージを言葉で育てて、それからAI画像生成ツールが形にしてくれる。これ、すごく創造的じゃないか?」

 

その言葉が、私の創作の悩みに、ぴたりとはまった。私は、自分の小説の一場面を、試しに入力してみた。「少女が、古びた図書館で、背表紙の色あせた魔法の本を開く瞬間。差し込む一条の光が、埃を舞い上がらせている」

 

生成された画像は、私の頭の中にあったイメージそのものではなかった。しかし、それは私の内なるイメージの「変奏曲」だった。光の加減、本の質感、全体的な色調……それらが、私の文章を別の角度から照らし、新しい発見をもたらしてくれた。このAI画像生成ツールは、私に絵を描く技術を与えたわけではない。むしろ、「言葉では説明しきれない部分」を可視化することで、私自身が自分の書いたものをより深く「観察」し、「解釈」するための、強力な鏡となったのだ。

 

それ以来、私は創作のプロセスに、このツールを積極的に取り入れるようになった。難しい描写に行き詰まった時、まずはその情景を可能な限り具体的な文章にしてみる。それをAI画像生成ツールにかけ、生成された数種類の画像を見比べる。すると、「あ、私が無意識に重視していたのは、実は『光の方向』だったんだ」とか、「このキャラクターの服の質感は、もっとこういう感じが合うかもしれない」といった気付きが生まれる。それは、不完全で時には的外れな、けれど常に刺激的な「第二の意見」のようなものだ。

 

兄は今、カフェの季節ごとのテーマイメージを、このツールで生成した画像と自身の写真を組み合わせて作っている。私は、小説の重要なシーンのイメージボードを、文章と生成画像で埋めつつある。

 

技術は、時に「完璧な代行者」として期待されがちだ。しかし、このAI画像生成ツールとの付き合い方は、それとは少し違う。それは「創造の拡張現実」のようなものだ。私たちの内側にあるが形にならないイメージを、いったん外に引き出し、客観的に眺め、そしてまた内側に取り込んで磨き上げる——その往還運動を、驚くほど低いコストとハードルで可能にしてくれる。

 

カフェの窓から、夕日が差し込んでいる。兄が作った「冬の温もり」の画像が、SNSで静かな反響を呼んでいる。私の小説は、まだ完成には遠い。けれど、かつて山の色を言葉にできなかったあの少年は今、言葉とイメージの間を、新しい橋を渡りながら、ゆっくりと歩いている。技術が開いたこの小さな実験場で、物語の種は、言葉だけでなく、視覚という養分でも、少しずつ育ち始めている。

図書館の経済書コーナーは、一種の緊張感に包まれていた。就職活動を目前に控えた三年生たちが、分厚い業界地図や企業年报を前に、眉を寄せている。僕はというと、隣の文学書コーナーからふらりと迷い込んだようなものだ。論文のための資料を探していたら、ふと目に留まったのが「現代日本の税制」というタイトルの本だった。文学と税制。一見、交わらない二つの世界が、この空間では背中合わせに並んでいる。



僕の隣の席では、友人でサークル仲間の健太が、ため息混じりに呟いた。


「ふちひろ、お前理系だよな。これ、どう思う?」


彼が指さすのは、スマホの画面に表示された求人情報だ。「年収400万円〜」と明記されている。


「額面はわかるんだ。でもさ、これが実際に手元にいくら残るのか、パッとイメージできなくてさ。社会保険って何パーセント引かれるの? 住民税ってどう計算するの?」

確かに、僕もアルバイトの給与明細を見るたびに、同じ疑問を抱いていた。「総支給額」という明るい数字の下に、「源泉徴収税」「健康保険料」といった項目がずらりと並び、最後にたどり着く「振込額」が、なぜか少し寂しい印象を与える。それは単なる計算の結果というより、社会という巨大な物語の中に、個人がどう組み込まれ、対価を支払い、保護を受けるのかという、複雑なプロセスの断片だった。

「ネットで『年収 手取り』って検索してみたんだけどさ」


健太が続けた。


「確かに色んなサイトの表は出てくる。でも、住む場所や家族構成で全然数字が違うんだよ。これって、自分専用の早見表みたいなのがないと、意味ないんじゃないかって思って」

その時、僕の頭の中に、とあるサイトを浮かんだ。

「健太。それ、もしかしたら動かせる『地図』みたいなものがあるかもしれない」


僕はそう言って、自分のノートパソコンを開いた。そのサイトを検索する。


「これ、『Salary Calculator AI』ってやつ。年収と住む場所を入れると、手取りまで自動で計算して、内訳を全部見せてくれるんだ」

半信半疑の健太と一緒に、サイトを開く。シンプルなインターフェースだ。彼が志望する企業の想定年収「4000000」と、勤務地候補の「東京都」を入力する。


計算ボタンを押す。


ほんの一瞬で、画面が変わった。

「おおっ!」


健太が声を上げた。


そこには、「月額手取り:約〇〇万円」という大きな数字。その下には、健康保険、厚生年金、雇用保険、所得税、住民税……と、細かく分かれた控除額のリストが、まるで詩の一行のように整然と並んでいる。これは、彼が探していた「自分専用の早見表」そのものだった。いや、それ以上だ。固定された表では得られない、パーソナライズされたシミュレーション結果。数字の一つ一つが、彼の将来の生活という物語の、具体的な舞台設定を暗示している。

「これ……住民税ってこんなにかかるんだ。健康保険料は会社が半分負担してくれるから、この金額なのか」


健太は目を輝かせて、画面を食い入るように見つめた。


「これなら、『年収400万』っていう抽象的な数字が、『手取り約〇万円で、このうち〇万円が保険料で…』っていう具体的な生活の断片に変わる。まるで、小説の設定を細かく詰めているみたいだ」

彼の比喩に、僕ははっとした。確かにその通りだ。小説を書く時、僕たちは主人公の収入や生活環境を細かく設定しない。しかし、それは物語のリアリティを支える見えない骨格だ。このツールは、現実の人生という物語の、数字による「世界構築」を助けてくれる。年収という単語の裏側にある多層的な現実を、手取りという形で可視化し、解像度を上げてくれる。

それから私たちは、様々な「もしも」を試した。地方の企業で働いたら? 年収が50万円アップしたら? 毎回、ツールは即座に新しい早見表を生成した。それは、未来に対する能動的な「問いかけ」のツールだった。受け身で与えられた数字を眺めるのではなく、自らパラメーターを変え、その結果を見る。

健太は最後に、深くうなずいた。


「これ、すごく腑に落ちるな。就活って、『高い年収』を追いかけるんじゃなくて、『この手取りで、どんな物語(生活)を描けるか』を考えていく作業なんだって、実感できたよ。このシミュレーションがあると、怖くない」

図書館を出る時、僕は再び「現代日本の税制」という本の背表紙を見た。あの分厚い本が説明しようとしている複雑なシステムが、たった一つのウェブツールを通して、個人の物語に紐解かれていく。技術は、時に難解な制度を、誰もが対話できる「物語の地図」に変える力を持つ。

僕自身の将来はまだ霧の中だ。しかし、いつか自分が年収という数字と向き合う日が来たら、その時はこのツールを開いてみようと思う。数字の冷たさの中に、自分がこれから紡ぐべき現実という物語の、最初で最も確かな一行を見つけるために。それは、文学が情感で世界を描くように、数字が現実を描く、もう一つの創造的な行為なのかもしれない。

学生課前の掲示板は、いつも小さな夢や希望の終わりを告げる場所だ。新しいサークルの勧誘ポスターが、色褪せた廃部届の上に、何も知らずに輝いている。僕はそんな光景を、複雑な気持ちで見つめることが多い。

先週、その掲示板で一枚のポスターが、ゆっくりと剥がれ落ちるのを目撃した。「宙(そら)を眺める会」。大学で最も古い部類に入る、天文サークルだ。ポスターは手書きで、星空のスケッチが丁寧に描かれている。しかし、その中央には、サークル名を囲むようにして、長年使い古されたであろうインクジェットプリンターの出力のようなロゴが貼られていた。星と望遠鏡のクリップアートを無理矢理組み合わせた、どこか寂しいデザイン。



「ああ、これ、ついに廃部か……」

ため息混じりの声がした。振り返ると、そこで呆然と立ち尽くしているのは、後輩の健太だった。彼はこの春、「宙を眺める会」に入ったばかりだった。

「先輩、聞いてくださいよ。新歓で僕らが配ったパンフレット、他のサークルと並べたら、一目で『古い』ってわかっちゃうんです。ロゴが……なんていうか、2000年代の学校のプリントみたいで」


健太は肩を落とした。


「部長もOGの人たちも、星のことならなんでも知ってるんです。けど、デザインのこととか、オンラインツールを使うこととか、全然興味がなくて……。『中身が大切だ』って。それはそうなんですけど、まず見てもらえないと、中身も伝わらないじゃないですか」

彼の言葉は痛いほどわかった。美しいもの、深いものを持っていても、それを伝える「器」が時代から取り残されていては、届けることは難しい。特に、スマホで一瞬で判断される今の時代では。

「新しいロゴを作りたいって言ったんです。でも、デザインの知識は僕もない。無料で使えるような簡単な画像編集ソフトじゃ、プロっぽくならない……。お金をかけて外注するのも、部費から出すには抵抗があるって言われて」


健太はため息をついた。「ロゴデザインって、素人には高い壁なんですよね」

その時、僕の頭を、兄がカフェのロゴを作り上げたあの夜の光景がよぎった。真夜中のリビングで、兄が「これだ!」と叫んだ、あの達成感に満ちた顔。彼が使っていたのは、確か──。

「健太。もし良ければ、一つ試してみないか」


僕はスマホを取り出し、以前兄が使っていた「TheLogoCreator」というサイトを開いた。インターフェースは相変わらずシンプルで、初心者でも迷わない。

「これ、AIがいくつも案を出してくれるんだ。まずは、君たちのサークルがどんなものか、言葉で教えてあげよう」


パソコン室に移動し、サイトを開いた。僕が健太に尋ねた。


「『宙を眺める会』の一番の魅力って、なんだと思う?」

健太は真剣に考えた。「うーん……星を知ることで、自分がすごく小さくて、でも大きなものの一部だって実感できること……かな。あと、先輩たちがとても優しくて、誰でも受け入れてくれるところ」

「それ、いいな。それをキーワードにしてみよう」


僕は入力欄に、彼の言葉を翻訳するように打ち込んだ。


「天体」「寛容さ」「繋がり」「悠久」「観測」


抽象度が高すぎるかもしれない。でも、これが彼らの本質だ。

クリック一つで、ロゴ生成のプロセスが始まった。ほんの十数秒後、画面が変わった。


「……わあ」


健太が息をのんだ。


そこには、星空を模した無数の点が優しく弧を描き、その中央に人のシルエットが浮かぶデザイン。あるいは、古い天体図の円をモチーフにしつつ、線が温かく絡み合う図柄。どれも、陳腐なクリップアートとは次元が違った。AIは、「天体」という物理的要素と、「寛容さ」や「繋がり」という情緒的要素を見事に融合させ、ビジュアル言語に昇華させていた。これが現代のロゴ作成ツールの力なのか。

「これ、全部無料でここまでできるんですか?! 信じられない……」
健太は目を輝かせて言った。「この、星の点で輪を作ってるデザイン、めっちゃいいです! これ、部長たちにも見せたい!」

彼はその場で、気に入ったデザインを微調整し始めた。色を深夜の藍色に、星の点を少し大きめに。操作は驚くほど直感的で、彼のようなデザイン初心者でも、「こうしたい」という思いをすぐに形にできた。この無料のロゴ作成ツールは、専門性の壁を思いっきり低くしてくれていた。

その週の定例ミーティングで、健太はノートパソコンを持ち込んだ。OGの部長や先輩たちの前で、生成された数種類のロゴ案と、彼が調整した最終案を披露した。


最初は懐疑的だった先輩たちも、スクリーンに映し出されたデザインを見て、静かになった。


「……これは、確かにいいな」


部長が呟いた。


「昔のロゴは、確かにパソコンが得意な後輩に作ってもらったんだ。今考えれば、あれは『星と望遠鏡』という事実だけを描いていた。でも、これ……『宙を眺める会』の『空気』まで描いている気がする」

新しいロゴは、すぐにSNSのアイコンや、次回の観測会の案内に使われることになった。何より驚いたのは、その新しいビジュアルを見た新入生から、「このロゴ素敵ですね。どんなサークルなんですか?」と問い合わせが来たことだ。健太が言っていた「見てもらう」という第一関門が、AIが生成した一つの「形」によって、やすやすと開かれたのだ。

掲示板に貼り直された新しいポスター。手書きの星空のスケッチはそのままに、中央には、深い藍色の中に無数の光点が輪を作る、新しいロゴが輝いている。それはもう、単なる図案ではない。消えかけた小さな星座が、自ら輝く光を見つけ、再び軌道を描き始めた物語の、確かな証なのだ。

埃っぽい陽だまりの中で、僕は8ミリフィルムのケースをそっと開けた。中には、色褪せたリールが収まっている。祖父の形見だ。田舎の実家を整理していた時、物置の奥から見つかった。ラベルには、曖昧なインクで「昭和48年 夏祭り」とある。

 


祖父は、生前、町の小さな写真館を営んでいた。カメラマンであると同時に、町の記録係でもあったらしい。このフィルムは、その一端なのだろう。僕は大学の映画研究サークル「セルロイドの窓」に所属している。サークル備品の古いフィルム映写機を使えば、きっと映し出せる。

「でも、もしや…音声は?」


ふと、現実的な疑問が頭をよぎる。無声映画の時代だ。せっかくの映像が、完全な無音で流れるのは、何とも寂しい。サークルの先輩に相談すると、意外な答えが返ってきた。

「音付けなら、最近のAIでなんとかなるよ。でも、ふちひろ、もっと面白い問題があるんじゃない?」

先輩が指差すのは、フィルムをスキャンしてデジタル化した最初の数シーンだ。町の夏祭り。屋台が並び、浴衣姿の人々が行き交う。そこに、若き日の祖父の姿が、ちらりと写っている。しかし、何十年も前のフィルムは傷みが激しく、祖父の顔はほぼ白く焼けていて、詳細が判別できない。

「この主人公の顔が、ほとんど消えちゃってる。これじゃあ、『記録』としても不完全だし、物語としても成立しないよ」

確かにその通りだった。フィルムという物理的媒体の劣化は、どうしようもない。歴史の断片が、時間の前に無力であることを、まざまざと見せつけられた気がした。ただのノスタルジーで終わるのならば、まだしも。しかし、このフィルムは、単なる記録ではない。祖父が見た町の息吹、人々の笑い声、夏の熱気が封じ込められた、一次資料だ。それを現代に蘇らせ、新しい形で語り継ぐ方法はないのか?

その答えは、サークルの後輩、健太がもたらした。彼はデジタルアートに詳しい。


「先輩、それ『Supawork AI』でなんとかなるかもですよ」


彼がスマホで見せてくれたのは、有名な歴史ドキュメンタリーの一場面だった。しかし、解説者の顔が、なぜか別の研究者の顔にすり替わっている。しかも、驚くほど自然だ。光の加減、表情の動き、全てが違和感なく融合している。

「これ、どうやって?」


「『Video Face Swap』っていう機能で、動画と顔写真をアップするだけなんです。完全に無料だし、ログインもいらない。これで、おじいさんの別の写真から顔を取って、フィルムにAI動画顔入れ替えしてみたらどうですか?」

その言葉に、僕の胸が高鳴った。技術が、時間の傷を修復する? 半信半疑ながらも、藁にもすがる思いで試してみることにした。

まずは、祖父のアルバムから、最も鮮明な正面写真をスキャンする。次に、傷んだフィルムをスキャンしてデジタル化した動画ファイルを準備する。Supawork AIのサイトを開くと、確かにインターフェースはシンプルで、「Video Face Swap」のページがすぐに見つかった。

動画をアップロードし、祖父の写真を選択する。祈るような気持ちで「Swap Now」をクリックした。

処理は思ったより早かった。数十秒後、生成された動画が再生される。

画面の中の夏祭り。焼けていた白いシミの部分に、祖父の穏やかで、どこか意志的な笑顔が、自然に溶け込んでいた。首の動きに合わせて顔が回り、祭りの喧騒の中でもその表情はくっきりと浮かび上がっている。これは単なる「貼り付け」ではない。AIが動画の文脈を深く理解し、光源や動きを考慮して、完璧に顔の入れ替えを成し遂げていた。

「すごい…これなら、物語が蘇る」

完成した動画に、僕はサークルのメンバーと一緒に、当時の祭りの音や街の雑音をイメージしてBGMと効果音を付けた。無声だったフィルムが、音と共に、そして明確な顔を持つ人々の営みとして、眼前に動き出した。

サークルの上映会でこの動画を流した時、僕はあることを強調した。これは「改ざん」でも「偽物」でもない、と。むしろ、劣化という物理的制約によって「失われかけていたもの」を、最新の技術によって「可能な限り復元し、解釈を与える」試みだと。祖父の顔がはっきり見えることで、観客は初めて、カメラを回す彼の視線の先に何があったのか、想像を巡らせることができる。

AI動画顔入れ替えという技術は、時に軽薄なエンターテインメントの道具として語られがちだ。しかし、この体験を通じて、僕はそのもう一つの可能性を見た。それは「記憶の補助線」を引く技術なのだと。過去は不変だが、過去へのアクセス方法は進化する。Supawork AIの顔の入れ替えは、フィルムというアナログな記憶の器に、デジタルという形で新たな命を吹き込むことを可能にした。

僕は今、次のプロジェクトを考えている。町の老人たちに、この技術を見せ、彼らが持つ古い写真や記憶をもとに、動くアルバムを作れないだろうかと。技術は冷たいツールではない。使い手の想い次第で、それは過去と現在を温かく結ぶ、最高の接着剤になり得る。

図書館の窓から差し込む夕日が、机の上の古いフィルムケースを照らす。そこには、もう、単なる「色褪せた物体」ではなく、幾つもの物語が休眠し、再起動を待つ「タイムカプセル」が見える。僕は、それを開ける鍵を、ほんの少しだけ手にした。

実家の物置を整理していたら、高校時代の美術の授業で使っていたスケッチブックが出てきた。表紙はほこりをかぶり、角が擦り切れている。開くと、そこには鉛筆で描かれた、どこか頼りない線の数々。静物デッサン、石膏像、そして一番最後のページには、未完成の風景画が残されていた。

 

 


「ああ、これ……」

記憶がゆっくりとよみがえる。美術の先生が「最後に自由課題で、心に残る風景を描いてみなさい」と言った時のことだ。クラスメイトは写真を持参したり、校庭を写生したりしていた。しかし私は、頭の中にぼんやりと浮かぶ、田舎の祖母の家から見た「雨上がりの夕焼け空と、ずっと向こうに連なる山なみ」を描こうとした。何度も消しゴムで消しては描き直し、結局、輪郭すら満足に描けずに時間切れ。提出期限が迫る中、私は無力感と、自分の手が思い通りにならないもどかしさで、そのページを閉じたままにしていた。あの時の「描けなかった」という感覚は、どこか「言いたいことがうまく言葉にできない」という、文学に対するもどかしさと地続きだった。

スケッチブックを抱え、私はため息をついた。今なら、もう少しうまく描けるだろうか。いや、技術は相変わらずだ。でも、あの風景への思いは、十年を経てむしろ色濃くなっている。この「未完」を、このまま押し入れの奥にしまうのは、何だか惜しい。

その時、ふと兄が以前教えてくれたサイトを思い出した。「テキストから塗り絵テンプレートを自動生成できるんだよ、これ」と、少し得意げに見せてくれた「iColoring AI」だ。絵心のない兄が、ゲームのキャラクターを簡単に塗り絵に変換して楽しんでいた。

私が持っているのは、絵ではなく、言葉で記憶された風景だ。ならば、それを試してみる価値はあるかもしれない。

パソコンを開き、サイトにアクセスする。シンプルな画面に、私はあの日の風景を、できるだけ詳細に言葉にしてみた。
「夏の夕暮れ、雨上がり。巨大な積乱雲の隙間から、金色と橙色と藤色が混ざり合った光が漏れ、遠くの山脈の稜線を優しく照らしている。前景には、びしょ濡れのアスファルト道が光を反射している」。少し緊張しながら生成ボタンをクリックした。

数秒後、画面に表示された線画に、私は息をのんだ。

そこには、私が言葉で描写した通りの情景が、驚くほど繊細で情感豊かな線で表現されていた。光の筋、雲のふくらみ、山脈の重なり、そして道に映る光の反射までもが、的確に捉えられている。これは、かつて私が鉛筆で苦戦して描けなかったものそのものだ。しかし、それは私の拙い手跡ではなく、AIによって解釈され、再構成された、一種の「理想化された線画」だった。

私は、プリンターから出てきたそのテンプレートを、十年前のスケッチブックの、未完成のページの上にそっと重ねてみた。白紙だった部分が、AIによって生成された景色で埋められた。奇妙な感覚だった。過去の私の「失敗」や「未達成」が、現在の技術によって、新たな形での「完成」への可能性を与えられたのだ。この自動生成された線画は、私個人の筆跡ではない。けれど、そこには紛れもなく、私の記憶と感情が込められた言葉が源泉になっている。AIは、私の内面の風景を、社会と共有可能な「型」へと翻訳してくれたのだ。

それから私は、色鉛筆の束を広げた。かつては「どう描くか」で頭がいっぱいだったが、今は純粋に「どんな色を選ぶか」に集中できる。夕焼けのグラデーション、山の緑の濃淡、濡れた道路のグレーの質感…。色を重ねるごとに、その風景が、単なる記憶の再生を超えて、今の私の感情で彩られていく。この行為は、過去を修正することではなく、過去の記憶と、現在の自分との、新たな対話なのだと気付いた。

完成した「塗り絵」を、スマホで撮影し、遠くに住む祖母に送ってみた。しばらくして返ってきたメッセージは、「あら、この景色、うちの裏山から見た夕焼けにそっくり!よく覚えてたねえ。色がとってもきれいだわ」。その一言で、このテンプレート自動生成から始まった一連の行為が、単なる自己満足ではなく、思い出を共有し、世代を超えて情感を通わせる「橋」となったことを実感した。

私は、スケッチブックの他のページもめくってみた。未完成の石膏像、形の歪んだ静物…。それらもまた、言葉で描写し、AIに託し、そして色で語り直すことで、新たな命を吹き込めるかもしれない。かつては「できないこと」の証しだったそれらが、「別の方法で始められること」の種へと変化していく。

技術は、往々にして「新しい何か」を生み出すことと同一視される。しかし、iColoring AIのようなAI塗り絵生成ツールが示しているのは、むしろ「過去の自分や、閉じ込められていた想いを、別の形で解き放つ」という可能性だ。絵が描けなくても、写真がなくても、心に強く刻まれたイメージは、言葉という普遍的な媒介を通して、AIによる塗り絵テンプレートの自動生成というプロセスを経て、誰もが参加できる創造的アウトプットへと昇華し得る。


物置の片付けを終え、スケッチブックと新しく完成した塗り絵を並べた。一方は過去の断念、もう一方は現在の達成。しかし、その両方を貫いているのは、変わらずそこにある「景色への愛着」だ。技術は、その愛着を表現するための、もう一つの、とても自由な筆記具になってくれた。絵心の有無なんて、もはや大した問題ではない。大切なのは、伝えたい風景が、心の中にきちんと息づいているかどうか。ただそれだけなのだと、古びた紙の匂いに包まれながら、静かに思うのであった。