ビルマへの民族流入の歴史的年表

ビルマの歴史を語る際の問題は、「自分たちが最古でありたい」という執着です。以前から議論が起きているのを見聞きしてきましたが、いざ自分で執筆を始めると、その問題に直面しました。早く着くことが高貴で価値があると信じられているのかもしれませんが、民族の価値は到着の早さではなく、到着後にどれほど偉大な文明を築いたかにあるのです。(© サヤー・コー・サイ・マウンの投稿より)



ビルマへの民族流入タイムライン:



  1. 先住民層(石器時代人): 1万年以上前。ホアビニアン(Hoabinhian)文化を持つ狩猟採集・漁労民。彼らは外から来たのではなく、この地の本来の所有者(アボリジニ)です。彼らはモン・クメールでもビルマ族でもありません。

  2. モン・クメール/オーストロアジア語族(第1波): 約4,000〜5,000年前(新石器時代/初期青銅器時代)。メコン川、サルウィン川、シッタウン川流域を経由して流入。稲作農耕を最初に持ち込んだ人々。先住民と融合し、最初の都市国家を建設しました。(現在のモン、ワ、パラウン、カンボジアなど)


  3. チベット・ビルマ語族(第2波): 約2,000〜3,000年前から流入。

    • 亜群(A)ピュー、テッ、カンヤン(先行グループ): ベイッタノー、ハンリン、スリ・クシェトラの建設者。

    • 亜群(B)ビルマ、チン、カチン(後発グループ): 紀元9世紀頃に南詔(Nanzhao)地域から大量に流入し、パガン帝国を築いた人々。



  4. タイ・カダイ/シャン語族(第3波): 13世紀(モンゴル侵攻期)。中国南部からシャン高原へ。クビライ・カンのモンゴル軍の攻撃により南下し、アヴァ時代に勢力を強めた人々。(現在のシャン、タイ、ラオス)


結論として:



  1. ​石器時代人(先住民)が最初。

  2. ​モン・クメールが2番目(農耕と共に流入)。

  3. ​ピューが3番目。

  4. ​ビルマ(Burman)は4番目(ピューの都市国家崩壊後に台頭)。

  5. ​シャンは5番目。
    これはG.H.ルースやドクター・タウントゥンが提唱した年表であり、ビルマ族は1番目ではありません。


科学的根拠:


これらの学者は推測で言っているのではありません。



  • 人口統計学: なぜモン・クメール系の民族が島のように各地に点在しているのか。後発の民族はビルマ族のように一箇所に固まる傾向がありますが、各地に散らばっているのは、元々この地を覆っていた「絨毯」のような民族が、後発の民族に押し入られて割れたからです。

  • 言語学: 農業用語(クワン、バナナ、竹、里芋)や河川名の語源はビルマ語ではなく、オーストロアジア語系です。

  • DNA: 2018年の『Science』誌に掲載されたDNA研究は、4,000年前の古人骨がモン・クメール系であることを証明しています。


​国を愛するのは良いことですが、歴史を偽ることは破壊行為です。ビルマ族は後発ですが、パガンという偉大な帝国を築いたことこそが真の誇りなのです。