アマプラで観た『さよならのとき』。
エピソードの合間に流れる映像と音声と音楽が、美術館で観る映像作品のようであった。
比較的地味な作品かもしれないが、とても良い作品だった。
以下、ネタバレを含みます。
この映画の主人公は、友人を迎えに空港に行く時に事故で亡くなってしまう。
主人公の人生の中で、主人公を愛した人たちのエピソードが語られている。
そして、それぞれのエピソードの最後に、その人たちに「さよなら」と言うのである。
主人公は、死ぬ瞬間を〈水のよう〉、〈電気みたい〉、〈冷蔵庫の唸り声のような〉と表現している。
すべては一瞬で、そのあと全てが分かる。そして、光が現れ静寂が訪れる。
わたしは、ずいぶん以前に交通事故にあっていて、その時は目のシャッターが下りて暗闇に落ちた。
幸いにもその後すぐに意識が戻ったので、暗闇は消えた。
死の瞬間というのはいろいろだと思うが、主人公は最後の時をこのような言葉で表現している。
「ずっといてくれると思っていた」
「わたしが消えたら、、、」
「二度と会えないかもしれない」
このような言葉が語られるシーンがあるが、〈死〉による離別の、その真実をよく表しているのではないだろうか。
先日、中学の同級生がガンで亡くなった。
その人は、中1の時にわたしを好きだと言った人だった。
来年の同窓会で会えるかもしれないと思っていたが、、、。
そう、何が悲しいとかといえば、亡くなった人にはもう二度と会えないということなのだ。
この映画の最後のエピソードでは、主人公の祖父が、多くを経験しても無数の問いかけがあると言う。
どういうことかというと、祖父より先に亡くなった祖母に対して十分にしてやれたのかという問いのことだ。
祖父が主人公より幸運だったのは、祖母は「ありがとう」と言い、祖父は「さよなら」と言えたこと。
このシーンの祖父の言葉の数々は、心に残る。
生きること、死ぬこと、出会い、運、偶然とかを考えてしまう。
この映画は、早回しをして観ることはおすすめしない。
エピソードの合間のシーンが、その美しさも含めて、とても重要。