西洋美術館で開催中の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展。

副題として〈国立西洋美術館65年目の自問/現代美術家たちの問いかけ〉とある。

 

かつてテオドール・W・アドルノが「美術館というものは、代々の芸術作品の墓所のようなものだ」と指摘した。

一方で、ノヴァーリスは「展示室は未来の世界が眠る部屋である」と言った。

つまりどういうことかというと、ある人が、美術館で過去の見知らぬ他者が生んだ芸術から時空を超えて何かを受け取り、それを刺激にして自ら作品を作りだすアーティストになるかもしれないということ。

美術館がそういう場所であるなら、そこには未来が潜在していると言えるのではないかということ。

 

西洋美術館はもともと未来のアーティストを育むところになってほしいという願いから創設されたが、創設以降のアーティストを触発したのかどうかを、これまで一度も問うことをしていない。

そればかりか、現存アーティストの作品を原則的に収蔵、展示しない機関になっている。

そのことについて、一度問うことを試みた展覧会なのである。

 

この展覧会は、西洋美術館の収蔵作品と、アーティストの作品が並べて展示してあったりした。

そして、糸、毛糸を使った作品が、気がついただけで4点。

そのうちのひとつが、弓指寛治の作品だった。

彼の作品は大量の絵画とテキストなのだが、その中に布絵?が数点あった。

これに似たのを鴻池朋子展で見たなあと思ってキャプションを見ると、この作品は鴻池朋子が始めたプロジェクト「物語るテーブルランナー」とある。

図録で確認すると、弓指寛治はこのプロジェクトを鴻池朋子から引き継いだそうなのである。

あるアーティストの立ち上げたプロジェクトを、他のアーティストが引き継ぐということがあるということに、少し驚いた。

このプロジェクトは、語り手、描き手、縫い手の三者が協働で進めるところが素晴らしいと思う。

 

弓指寛治の今回の作品は山谷に住む人やホームレスの人たちとの交流をテーマにしている。

山谷には「物語るテーブルランナー」の語り手はいても縫い手はいない。

そのため、縫い手はかつての「物語るテーブルランナー」の縫い手に協力してもらっている。

その色彩、縫いに、わたしは見入ってしまう。

 

上野公園はかつてはブルーシート小屋がいくつも建てられていた。

ブルーシート小屋が撤去された後も、ホームレスのリヤカーも見たし、弁当を配布しているところにも出会ったこともある。

最近はそういう光景も見ないなあと思っていた。

かつて上野公園に住んでいた人たちは、バブル以降山谷に移り、公園の掃除の仕事などで上野に来ているそうだ。

西洋美術館前で、アウトリーチとしてお弁当を配ることがあるようだが、ホームレスの人たちにとっては、西洋美術館はアウト・オブ・眼中であるという。

ホームレスも西洋美術館も同じ上野公園に存在しながら、全く別世界に存在しているようで、混ざり合うこともなく、互いに見えてはいるが、実のところ見ていないという状況ではないだろうか。

 

この展覧会は20人ほどのアーティストが参加しているが、それぞれ扱っているテーマが多様で奥深い。

さまざまのことを気づくきっかけになる。

西洋美術館としては実験的な試みだったかもしれないが、自分の中では今年一番の展覧会になるのではないかと思っている。

図録も買った。

図版は少ないが内容は充実している。

また、担当キュレーターの講演会が11日にある。

Zoomウェビナーのため参加予定である。