ヨコトリ。

2回目以降欠かさず行っている。

前回のトリエンナーレ以来の横浜美術館。

 

今回のヨコトリは、今までとはちょっと毛色が違っていたように思う。

見た後、どろりとした泥をかぶったようで、すっきりした気分ではなかった。

ヨコトリのサイトを見ると、展覧会全体を通して芸術と現実世界の関係や、アートの実践者が批判的に暮らしや社会に関わることの重要性について問い続けるとある。

作品は、20世紀初頭までさかのぼっており、いくつかの歴史的な瞬間、できごと、人物、思想の動向を取り上げている。

社会問題を扱った映像作品も多く、展示全体を見ると子ども向きの展覧会ではないと思った。

 

わたしの心に残った作品を、1、2点上げてみたい。

まず、スーザン・チャンチオロの作品。

布団、人形、小さな机、天井から垂らされている紙のようなもの。

ひとつひとつのクオリティは低いと思うが、逆にそれがわたしの心をとらえた。

この作品のことを知りたいと思い、監視員に聞くと、このアーティストはキャプションがなという。

そのためなんの情報も得られなかった。(ヨコトリのHPにもない)

ほんとうに残念だし、不満も残る。

 

そして、一番印象深かった作品は、アネタ・グシェコフスカの作品。

この作品は〈鏡との対話〉という章に展示されていた。

母親そっくりに作ったシリコン人形と遊ぶ娘の写真と人間の仮面を被った犬の写真。

娘が母親を世話する様子や犬の日常的な行動は、鏡となって自身の関係性や日常生活を見つめ直す機会を提供している。

一見すると写真は異様で違和感を感じるが、一枚、一枚見ていくとそこに母娘と犬たちのストーリーが見えてくる。

母であったり、娘であったり、犬の飼い主であったりする自分に置き換えて見ていることに気づくのである。

 

ヨコトリ、最初に行った時はキュレーターが誰かなど、それほど意識しなかった。

しかし、近年はキュレーターが誰かも、とても意識するようになった。

前回のトリエンナーレも外国人がキュレーションしていたが、これからもキュレーターが外国人のヨコトリを見たいと思う。