さいたま国際芸術祭も残すところ後2日。
実は、会期が長かったのに、足を痛めているという、ただそれだけの理由で行きそびれている。(芸術祭の事務局に問い合わせをすると、メイン会場にはエレベーターもなく、階段の移動になり、基本的に一方通行で戻ることもできるが、すべての作品を見ることは不可能かもということだった)
この芸術祭に存在するスケーパー。
このスケーパーというのは、芸術祭のディレクターのコレクティブ目[me']の造語である。
本当なのか、具然なのか曖昧な風景を作り出す人のことをいう。
目[me']の千葉市美術館での展示にも多くのスケーパーがいた。
美術手帖の今月号は、目[me']の特集で、スケーパーについての記載がある。
そこに、メンバーの荒神明香氏が、大学時代に丸の内のオフィスで働く人に憧れて、それっぽい格好で新橋に行ったというエピソードがある。
彼女はオフィスで働く人とは振る舞いが全く違っていたと感じたそうだが、毎日通ったらオフィスレディになれるかもしれないと思ったそう。
そう、スケーパーとは、全く違う人間に数時間なることができるということ。
自分以外の誰かになりたいというのは人間に基本的に存在する願望だと思う。
さいたま国際芸術祭では、スケーパーになるにも様々な制約があったと思われる。
芸術祭のメイン会場の界隈で、なんちゃってスケーパーになることも可能かもしれない。
なんちゃってスケーパーであることは、本人しかわからないけども。
さいたま国際芸術祭でスケーパーをしている人達は、自分たちが、本物かそうでないかと鑑賞者に思われることにワクワクするのではないだろうか。
どの芸術祭でもボランティアとして参加している市民がいると思う。
スケーパーで参加することは、芸術祭に市民として参加するということに関して言えば、ひと味違った経験が出来るかもしれない。