森美術館の「ゴー・ビトゥイーンズ展 こどもを通して見る世界」展。
この展覧会はタイトルに「こども」がつくが、こども向きの展覧会ではない。
写真作品が多かったが、どのアーティストの作品もとてもいいのである。
中でも、オーストラリアのメルボルン出身のトレーシー・モファットの《一生の傷Ⅱ》というシリーズが印象深かった。
その写真に併記されていたテキストを、わたしは忘れられない。
このシリーズは、家族から吐かれた暴言や苦い記憶を、報道写真集の『ライフ』のフォトエッセイを模して表現したものである。
ふくよかな少女が花柄のワンピースを着て鏡に写っている《母の返事》というタイトルの写真。
その写真にはこんなテキストが併記されている。
〈はじめてのスクールダンスの夜に母親に格好をどう思うかたずねた。彼女は言った。「ぶたをきれいに飾り付けるなんて、食べる時ぐらいでしょう」〉
また、《手編みのニット》という写真は、ラグビー場で何人か選手が写されているが、そのうちのひとりは手編みのニットのベストを着ている。
併記されているテキストには、「彼は、母親の手編みのラグビーユニフォームをチームメイトがばかにしているのを知っている」と書かれている。
モファットのこのシリーズのテキストはとても興味深かったが、すべてをメモすることができなかった。
(展覧会カタログは7月上旬発売予定)
日常でありがちな、しかし見落としがちな事柄が〈傷〉として、それも〈一生の傷〉として取り上げられていることに、いろいろな思いを抱いた。
その日は休日だったからか、年配の団体客も多かった。
そんな団体客は、どの作品の前にも立ち止まらずに、ずんずんと出口に向かっていくのだった。
「六本木ツアー」か何かで来ていて、展望台+森美術館のチケットで入場しているのかもしれないが、「なぜ作品をしっかり見ないのだ」と言いたい。
年配の人の方が、より様々な思いを巡らせることができると思える作品も多かったのに。
先日会ったアーティストも、この展覧会はイチ押しだと言っていたが、わたしも同感である。
会期中にもう一度行けたらいいなあと思う。
この展覧会はタイトルに「こども」がつくが、こども向きの展覧会ではない。
写真作品が多かったが、どのアーティストの作品もとてもいいのである。
中でも、オーストラリアのメルボルン出身のトレーシー・モファットの《一生の傷Ⅱ》というシリーズが印象深かった。
その写真に併記されていたテキストを、わたしは忘れられない。
このシリーズは、家族から吐かれた暴言や苦い記憶を、報道写真集の『ライフ』のフォトエッセイを模して表現したものである。
ふくよかな少女が花柄のワンピースを着て鏡に写っている《母の返事》というタイトルの写真。
その写真にはこんなテキストが併記されている。
〈はじめてのスクールダンスの夜に母親に格好をどう思うかたずねた。彼女は言った。「ぶたをきれいに飾り付けるなんて、食べる時ぐらいでしょう」〉
また、《手編みのニット》という写真は、ラグビー場で何人か選手が写されているが、そのうちのひとりは手編みのニットのベストを着ている。
併記されているテキストには、「彼は、母親の手編みのラグビーユニフォームをチームメイトがばかにしているのを知っている」と書かれている。
モファットのこのシリーズのテキストはとても興味深かったが、すべてをメモすることができなかった。
(展覧会カタログは7月上旬発売予定)
日常でありがちな、しかし見落としがちな事柄が〈傷〉として、それも〈一生の傷〉として取り上げられていることに、いろいろな思いを抱いた。
その日は休日だったからか、年配の団体客も多かった。
そんな団体客は、どの作品の前にも立ち止まらずに、ずんずんと出口に向かっていくのだった。
「六本木ツアー」か何かで来ていて、展望台+森美術館のチケットで入場しているのかもしれないが、「なぜ作品をしっかり見ないのだ」と言いたい。
年配の人の方が、より様々な思いを巡らせることができると思える作品も多かったのに。
先日会ったアーティストも、この展覧会はイチ押しだと言っていたが、わたしも同感である。
会期中にもう一度行けたらいいなあと思う。