著者は重松清。

これは彼が、今年の夏に開催された北京オリンピックの前後に、北京や上海や青島などを訪れ、そこで出会った人たちのことを書いた本だ。


北京オリンピック。
もうすっかり忘れてしまった。


かろうじて思い出すのは、あの長時間の開会式だろうか。
あれはあれで感動的ではあったが。
後で、花火はCGだったとか、少女が口パクだったとか、ちょっとガッカリする報道もあったが、ありうるかもとそれほどの驚きはなかった。

あの開会式。
よく見ると、出し物の中には、大変な係とそうでない係があるのが一目瞭然だった。
あの人たちはどのように選ばれたのかは知らないが、どんな形であれ、オリンピックの開会式に出られたということは誇らしいことだろうと想像できる。


この本を読むと、北京では一時期、オリンピック関係の建設のために100万人の農民工が働いていたという。
その農民工は、オリンピックの開会式の日を待たずに農村に帰えされたらしい。
一方、北京に残った農民工も家族をオリンピックに呼ぶことは叶わなかった。


また、オリンピック会場に程近い貧困街は一掃されたと聞く。
北京オリンピックは、外国に見られたくないところはすべて排除してのオリンピックだった。


いったい誰のためのオリンピックだったのかと、深く考えることもなく「祭り」は終わってしまった。


オリンピックの前と後。
日本もそれは経験している。

オリンピックに向けて、社会資本も整備され、経済に勢いがついた日本。
国民はオリンピックの恩恵を表面上は等しく受けたように思う。


しかし、中国はどうだろうか。
国が対外的な体裁をととのえることに腐心したオリンピックの恩恵を、この先一般市民はどんな形で受けるのだろうか。


重松清は、中国という国は嫌いだけど、中国人は好きになりたいと言っている。
中国人にはいい人も悪い人もいる。
それは日本人も同じだ。

だから、どこの国の人が好きとか嫌いとかいうのはナンセンスだとわたしは思う。

しかしながら、どんな国のことでも報道される情報のみで判断すれば、ややもすれば適切でない感情を持つことがあるかもしれない。
この『加油』の重松清の、てらいのない中国人に対する感情表現は好感が持てる。
この本を中国人が読んだら、どのように思うのだろうかと、そんなこともちょっと考えたりしたのだった。