先日、バイキングエデンが今年の5月で日本発着クルーズから撤退するということを知った。

乗客定員930名のところ、150名ほどしか乗客がいない時もあったようだ。(まるで飛鳥Ⅲのようだ)

バイキングエデンは、2024年11月に日本発着クルーズが開始されている。

 

わたしは、乗客数の少なさから日本発着では収益が上がらないということで撤退するのかと思ったが、クルーズ船というのは、定期的に配船する地域を変更するようなのだ。

バイキングエデンは日本から撤退した後は、船籍は中国からノルウェーに移る。

 

この件から、わたしは、外国船が日本発着クルーズをいつまで続けるかは全く予想が出来ないことを知った。(そして、二度と日本に配船されないことも)

去年の5月にクイーンエリザベスに乗船したが、5月のクルーズが日本発着クルーズのラストだった。

わたしは、久しぶりの同窓会の参加を断ってクイーンエリザベスに乗船した。

同級生のひとりは、「クルーズ、キャンセル出来ないの?」と言ったが、キャンセルしなくて正解だった。(同窓会はまたあるしね)

 

クイーンエリザベスに乗船した時、続けて二回乗船すると言っていた若い女性がいた。

クルーズに詳しく、外国まで行って乗船するのは面倒なので、いつも日本発着クルーズに乗船していると言っていた。

クイーンエリザベス、2028年には香港から横浜、横浜からシドニーなどの区間乗船が出来るようである。(船で目的地に行って、飛行機で帰るのもありかもしれない。その時、あの大量の荷物は?)

 

そして、2027年にはダイヤモンドプリンセスの姉妹船のサファイアプリンセスが日本発着クルーズとして就航するようである。

この先のクルーズ旅行の計画にプリンセスクルーズを視野に入れていたが、サファイアプリンセスが就航するなら、選択肢が増えるので嬉しい。

 

 

 

春に直島のベネッセハウス(パーク)に宿泊予定だった。

直島は10年以上前に二度ほど行っている。

新しく美術館もできたようで、もう一度行きたいと思っていた。

 

宿泊はベネッセハウス一択。

以前はベネッセハウスミュージアムに宿泊したので、今回はベネッセハウスのパークに宿泊しようと予約した。

ベネッセハウスは人気で満室の日も多く、どうにか予約が取れた。(ふぅ)

 

以前に2回行ったうちの1回はサンライズ瀬戸で行ったので、夜行列車にもう一度乗りたいと思い、往路は夜行列車で、復路は新幹線を利用する予定で計画を立てていた。

問題はサンライズ瀬戸の切符である。

 

最近は人気なのか、いわゆる10時打ち(出発1ヶ月前の10時に切符を買うこと)をしないと客室が取れないという。

旅行会社に切符購入を依頼することも出来るが、最初は自ら窓口で購入するつもりだった。

 

YouTubeやネットでサンライズ瀬戸の情報を収集していた。

そうしたところ、サンライズ瀬戸で直島に行くことの、自分にとってもっと大きな問題に気づいてしまった。(あくまでもわたしにとっての問題。一緒に行く予定だった夫は問題ないようだ)

 

それは、洗面台、トイレ、シャワーが共同であるということ。

以前に乗った時は、夜行列車は初めてだったし、それも楽しいと思えた。

しかし、今はそうは思えなくなっている自分に気がつく。

その理由は何か、つらつらと考えていた。

年齢によるものか、なんなのか。

 

そして、分かったのだ。

夜行列車に乗れなくなったのは、コロナ禍以降に数回体験しているクルーズ旅行せいではないかと。

クルーズの旅は概して受け身で、普通の旅で味わう面白さはないとわたしは思っている。

寄港地でも時間などの制約があり、存分に楽しめないところもネックである。

でも、クルーズ旅行は自分専用の洗面台、トイレ、シャワーが乗船してすぐに使えることが、わたし的にはポイントが高いのである。

 

ベネッセハウスに宿泊することについてはなんら問題はない。

しかし、夜行列車で行くこと、それがわたしにとってハードルが高くなってしまったのだ。

なので、ベネッセハウスの予約ををキャンセルした。

(新幹線を利用して行くことも可能なので、再度検討しようと思っている)

 

国立新美術館で開催中の「テート美術館」展。

展覧会図録を買ったので読んでいた。

 

ジリアン・ウェアリングという作家は、自己と社会の関係を現実の出来事の観察と再現を通じて探究している。

展覧会図録では、同時代に制作された「誰かがあなたに言わせたのではなく、あなたが言いたいことを語るサイン」という作品について言及している。

この作品は、彼がロンドンの街頭で社会的立場、年齢などが異なる500人以上に声をかけて、紙にマーカーでいまの自分の気持ちを書くように依頼する。

展覧会図録にあがっているのは、スーツを着たビジネスマンが、「絶望している」と書かれた紙を持っている写真である。

 

わたし達が外見から想像する彼と、彼が思っていることの格差を感じさせることが目的なのだろうか。

この作品以外の作品をネットで探すことは出来なかったが、自分の気持ちを書くように依頼された人の属性は多様だと思う。

普通に見えていても、病気を抱えている、悩みがある、生きづらさを抱えている人もいるだろう。

逆に超ハッピー!、今が最高!と言う人もいるだろう。

 

街頭で質問された人は、その時の気分や状況、誰と一緒にいるかで書かれる内容は変わるのではないだろうか。

書かれた言葉は嘘ではないだろうけども。

この作品はどのように鑑賞すればいいのかなと考える。

 

作家が、このような作品に共感などを求めているとしても、結局、美術館の中でしか作品に出会うことはできない。(ネットで見れるアーカイブ資料などは別として)

この作品について知った時、わたしが考えたのはここのところだった。

 

美術館で作品を観ることは誰もができることである。

わたしはずっとアートが好きなので、一年を通して美術館に行くことは普通であるが、美術館には行かないという人もいるだろう。

高い入場料を払ってまで観ようと思わない人もいるだろう。

 

万人にwelcomeの美術館であるが、、、。

わたしが海外で美術館に足を運んだ時に感じる言葉の壁、その国のアーティストの知識の欠如。

(国内では感じることはない)

実際のところ、作家が一番観てほしい人達は美術館に来ないかもしれない。

そんなことを今初めて思った。