宇都宮美術館で開催中のイヴ・ネッツハマーの個展。

イヴ・ネッツハマーはスイスの映像インスタレーションアーティストで、2007年にヴェネツィア・ビエンナーレでスイスの代表を務めた。

 

このような経歴の映像インスタレーションアーティストの個展が見れるというので、とても楽しみにしていた。

久しぶりの宇都宮美術館であった。

 

そして、結論をいうと、この展覧会の満足度は大変低かった。

帰る時は物悲しさまで感じていた。

展示作品の約半分が映像作品で、37分、42分、8分、7分と、全部を観ると94分。長!

わたしは、芸術祭などでも映像作品はさらりとしか見ない。

たまにじっくり観る時もあるが、それは数えるほどだ。

ネッツハマーの作品は1作品を5分ぐらい観たら、飽きてしまった。

家でタブレットで鑑賞するなら、全部観たと思う。

 

現代アートを見始めた頃なら、もう少しじっくり観たかもしれない。

コロナ禍を経て、展覧会は厳選して足を運ぶようになった。

厳選しているのに、それでも感動が薄い時がある。

これはわたし自身の問題かもと思う。

先日、ZOOMでアート系の人達と話していた時、作品を鑑賞者する鑑賞者の能力も必要という話になった。

作品から何を感じるか、それは鑑賞者の心身の状態にかなり左右されるのではないだろうか。

 

ネッツハマーが宇都宮に滞在した時に、大谷採石場からインスピレーションを得て制作した《筏》というインスタレーションは、それなりに興味深かった。

さまざまな場所にレジデンスして、現地の産物や歴史などからインスパイアされて作品を制作するアーティストに、わたしはいつも感心する。

滞在期間が限られている中で制作するのは、地元の人に協力を得たとしても、そう簡単ではないと想像するからである。

 

この筏の作品は、美術史上の名作、ジェリコーの《メデューズ号の筏》も念頭にあったという。

このことは家に帰ってから読んだハンドアウトで知った。

会場でジェリコーの作品を思い浮かべた人はどれだけいただろう。

 

この展覧会は難しいというブログも散見する。

ひとつひとつのコンセプトがはっきりしないし、それぞれの関連性もあるのかないのか。

日本では作品を観ることが難しいアーティストであることの有り難さなどは、極論、鑑賞者にはどうでもいいことである。

東京の森美術館でのグールプ展などでネッツハマーの作品に出会っていたら、もっと印象は違っていたかもしれない。

 

 

12月ににっぽん丸で徳島の大塚国際美術館に行ったばかりであったが、先日、飛鳥IIの今年最初のクルーズに参加した。

今回のクルーズは、相模湾、駿河湾を周遊し、一度も陸には上がらないクルーズであった。

 

クルーズというのはすぐに予約がいっぱいになる。

このクルーズも、ずいぶん以前にHPで見た時は満室だったが、12月の終わり頃になぜか2部屋空き、思わずポチった。

わたしがポチって30分後には満室になった。

ギリギリで予約できてラッキーだった。

 

クルーズ船には必ずライブラリーがある。

にっぽん丸と飛鳥IIのライブラリーの本棚は、それぞれ特徴がある。

わたしは、飛鳥IIのライブラリーの本棚の方が好きである。

料理科学全集、植物大全、地域研究など、マニアックと思える書籍が多くあった。

アート系の書籍もさまざまあり、なんと!シャルル・フレジェの写真集があったのだ!

船上でフレジェに会えるなんて!

 

この本は持ってはいたが、読んでいなかった。

それで、家に帰ってから読んだ。(写真を見た)

 

ちょうど先日、中心的な西洋のアーティストと周縁的な国のアーティストについて考えていたところだった。

このフレジェの写真集は、タイトルが『ブラック・アイデンティティー南北アメリカの仮装祭』という。

キリスト教徒が異教徒のアートを破壊し、または無視するということはずっと行われてきたことである。

よく例に出されるのが、1989年にポンピドゥセンターで開催された「大地の魔術師たち」展だ。

この展覧会は、原始芸術を見直すきっかけにはなったと思う。

しかし、このような展覧会で取り上げられているアートも、周縁的な国の中でも〈中心的〉なアートではないかと、わたしは思うのである。

 

キリスト教徒と同じような方法での表現を禁じられた人々は、独特な方法で自らのアイデンティティを紡いでいる。

仮装祭の時に、自身の体を使い、身近にある草や葉などで表現している彼らを、フレジェは写真に収めている。

1ページ、1ページじっくりと見ているが、色、装飾品の多様性に目をみはる。

 

仮装祭が終われば、彼らは本来の姿に戻る。

仮装という一時の表現を通して、彼らは、自分たちのアイデンティティを後世に伝えている。

これらの写真は、自然の中で撮られたものもあるが、そうでないものもあり、背景も興味深い。

背景は、作り込まれていないがゆえの面白さがあると思う。

 

 

 

久しぶりの東京都写真美術館。

コロナ禍前にはよく行っていた美術館。

過去の恵比寿映像祭も何度も行っている。

 

恵比寿映像祭は入場料が無料ということもあり、人気の展覧会であると思う。

わたしが行った日も、外国の方をはじめ多くの人がいた。

今回の恵比寿映像祭はどうしても行きたかった。

それは、好きなアーティストのトレイシー・モファットと台北で個展を見た周慶輝(ゾゥ・チンフォエ)の作品を観たかったからだ。

 

2人の作品は2Fの展示室に展示されていたのだが、ちょうどパフォーマンス中で多くの人がいた。

そのため、すべての作品をゆっくりと観ることが出来なかった。

それでも、トレイシー・モファトと周慶輝の作品はしっかりと観た。

 

周慶輝の作品は《人的荘園》シリーズであったが、一枚だけだったのでがっかりした。

一枚だけでは、彼の《人的荘園》シリーズの作品の良さは伝わらないのではないかと思った。

トレイシー・モファトの作品はわたしの好きな《一生の傷》シリーズで、観たことのない作品ばかりで嬉しかった。

 

今回、初めて写真美術館の図書室にも行ってみた。

そして、周慶輝とトレイシー・モファトの作品集を何冊か見た。

当たり前のことだけど、彼らの作品はワンシリーズだけではない。

写真美術館で彼らの個展があればいいなぁと思う。(彼らの作品の他のシリーズも観たい)

 

そして、地下の展示。

ここでの展示は興味深い作品が多かった。(知識欲を刺激されるような作品)

帰ってからロジャー・マクドナルドについて調べたりして、そして、彼の『DEEP LOOKING』という書籍をAmazonで思わずプチった。

 

今はスマホで簡単に写真も動画も撮れる時代である。

そんなこともあり、写真美術館での鑑賞のハードルは低いと思われる。

知り合いに写真を始めたペインターがいたりするが、自身が撮った写真を芸術作品にまでにするのは、そう簡単でないとわたしは思っている。

 

さて、今回の展覧会でもらった新聞紙の大きさのハンドアウトである。

このハンドアウトには、「月へ行く30の方法 ブックガイド」の記載がある。

本好きのわたしにはとてもありがたい。

このハンドアウトを1Fのカフェで読んでから鑑賞すると、理解が深まるのではないだろうか。

フロムトップというカフェだが、雰囲気も良く、料理もナイスでおすすめである。