タイトルにした「運命が書いた台本をこなす」と言ったのは、テニスで出場するパラアスリートの小田選手。

パラリンピックの開会式前に言った言葉だ。

人生とは何かといえば、運命が書いた台本をこなすことかもしれない。


人生は順調な時も、不調の時もあると思う。

わたしは、出来事のひとつひとつは偶然であると思うようにしてきた。

そう思えば、調子の良い時に天狗にならないし、調子の悪い時も落ち込まないで済む。

それでも、頑張った自分を褒めたり、努力の怠りを悔やんだりすることもあるにはあるが、、、。

 

パリパラリンピックの開会式の途中で障がいのある人へのインタビュー映像が流れる。

ある女性は、障がいを「つまるところどう考えるか」と言った。

また、ある男性は「障がいは誰もが関わる可能性がある」と言った。

だから、お互いに助けあい、わかりあうことが大事だという。

 

人はどれだけ元気でも、事故とか病気で障がいを負い、それまで出来ていたことが出来なくなることがある。

そして、年齢を重ねれば、若い頃のようには元気いっぱいではなくなっていく。

自分の体なのに思うようにならないのが日常になることもある。

わたしは、このようなことすべてを〈個性〉と捉えたらどうかと思っている。

〈個性〉に良いとか悪いとかはないように、そのような〈個性〉も良いとか悪いとかはないのではないだろうか。

 

そして、オリンピックの開会式、閉会式もそうだったが、今回のパラリンピック開会式でもピアノが多用されていた。

パラリンピックではピアノの中にドライアイスを入れたり、ピアノの上に乗ったり、人を乗せて動かしたりしていた。

オリンピックでは燃やしたり、宙吊りにしていたことを思い出す。

子どもの頃ピアノをやっていたわたしは、ピアノのこのような扱いにはなんだか違和感を感じる。

演出的に黒いピアノが必要だったかもだが、「フランス人はピアノに恨みでもあるの?」と言っている人もいる。

 

世の中にピアノそれ自体に愛を持っている人は、ある程度の人数存在すると思う。

ピアノの件で、他の演出が色あせて感じることがないことを願う。

 

 

 

映画『カモンカモン』。

アマプラで視聴。

アマプラでの作品説明からは、独身中年男性と甥っ子の交流の話かな?と思った。

確かに交流の話であるのだが、もっと多くのあれこれが詰まった映画のように思った。

 

以下、ネタバレになります。

 

 

この映画はモノクロである。

独身中年男性は、ラジオジャーナリストでこども達にインタビューをしている。

一旦映像が終わり、エンドロールになるわけだけど、そこで彼のインタビューに返答する子供達の声が流れる。

約6分間、声だけ流れ、まるでラジオ放送を聴いているようなのである。

 

彼は、こども達に質問する。

◯未来について考える?

◯自分の気持ちを理解する方法は?

◯君の人生で最悪のことは?

◯大人をどう思う?

◯スーパーパワーがあったら何したい?

◯死んだらどうなる?

◯パパやママを覚えていたい?

など。

言いたくないことは答えなくてもよいと最初に断っている。

映画の中では、アメリカのさまざまな都市の、移民も含めさまざまな子供に質問していた。

この質問の答えは、実際にインタビューしたリアルな答えではないかと思った。

 

この映画を映画館で観ていたら、もしかしたらエンドロールの前に退場していたかもしれない。

この映画を観た上でこのエンドロールでの子供達の声を聞くことはとても意味があると思うので、最後まで席を立たないことをおすすめしたい。(もう映画館では上映してないけど)

 

物事に対する考えや感じ方は、それぞれであるけれど、それを知ることは自身の見方を豊かにするように思う。

 

また、この映画では、何冊かの本を紹介している。

◯『双極性熊の家族』アンジェラ・ホロウェイ著

◯『母たち 愛と残酷さについて』ジャクリーン・ローズ著

◯『星の子ども』クレア・A・ニヴォラ著

など。

『星の子ども』は読んでみたいと思った。

どの本も翻訳がされてないのか、Amazonにはなかった。

『星の子ども』の内容は、わたし達が地球で人生を送っている、その生と死について書かれた本(もしかしたら絵本かも)のようで、とても興味深いと思った。

 

この映画は、本のタイトルなどをメモすることになる。

映画館で観るより、家での鑑賞に向いているように思う。

アマプラで観た『さよならのとき』。

エピソードの合間に流れる映像と音声と音楽が、美術館で観る映像作品のようであった。

比較的地味な作品かもしれないが、とても良い作品だった。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

この映画の主人公は、友人を迎えに空港に行く時に事故で亡くなってしまう。

主人公の人生の中で、主人公を愛した人たちのエピソードが語られている。

そして、それぞれのエピソードの最後に、その人たちに「さよなら」と言うのである。

 

主人公は、死ぬ瞬間を〈水のよう〉、〈電気みたい〉、〈冷蔵庫の唸り声のような〉と表現している。

すべては一瞬で、そのあと全てが分かる。そして、光が現れ静寂が訪れる。

わたしは、ずいぶん以前に交通事故にあっていて、その時は目のシャッターが下りて暗闇に落ちた。

幸いにもその後すぐに意識が戻ったので、暗闇は消えた。

死の瞬間というのはいろいろだと思うが、主人公は最後の時をこのような言葉で表現している。

 

「ずっといてくれると思っていた」

「わたしが消えたら、、、」

「二度と会えないかもしれない」

このような言葉が語られるシーンがあるが、〈死〉による離別の、その真実をよく表しているのではないだろうか。

 

先日、中学の同級生がガンで亡くなった。

その人は、中1の時にわたしを好きだと言った人だった。

来年の同窓会で会えるかもしれないと思っていたが、、、。

そう、何が悲しいとかといえば、亡くなった人にはもう二度と会えないということなのだ。

 

この映画の最後のエピソードでは、主人公の祖父が、多くを経験しても無数の問いかけがあると言う。

どういうことかというと、祖父より先に亡くなった祖母に対して十分にしてやれたのかという問いのことだ。

祖父が主人公より幸運だったのは、祖母は「ありがとう」と言い、祖父は「さよなら」と言えたこと。

このシーンの祖父の言葉の数々は、心に残る。

生きること、死ぬこと、出会い、運、偶然とかを考えてしまう。

 

この映画は、早回しをして観ることはおすすめしない。

エピソードの合間のシーンが、その美しさも含めて、とても重要。