JWの教えは組織から離れていくことをサタンの側に近づいていく哀れな人とみなし、悪だと教えます
しかしそれはこんな弊害を生みます

以前にJWの友人と共通の知り合いについての話題になりました
わたしはその共通の知り合いともう何年も会っていなかったので、そのJWの友人に

「〇〇君(共通の知り合い)って最近会ってないけど元気かな?今どこに住んでるんだろう?」

と聞きました

それに対するJWの友人の返答はこうでした

「彼は今、(組織から)離れて、集会も行ってないよ」

冷めたような口調に少し驚きました

そして、わたしが聞きたかったのはそういう事ではなく、ただ単にいま体調など崩さず元気に過ごしてるのか、近くに住んでいるのか気になったのでそういう質問をしたわけですが、友人の中ではその返答でもうこの話しは完結してしまったのです

仲間に対して心から体調を気にしたり、近況を知ることよりも、相手が今「組織に付いているか、それとも離れているか」ということが重要になってくるわけです

なんかものすごく嫌な気持ちになりました

「彼は離れた」

この一言に、
「元気のないかわいそうな人、離れてるから連絡も取れないし、居場所も知る必要もない」

そういう気持ちが集約されているんだと感じました
だからそこで完結してしまうのだと思います

JWはよく同じエホバの証人を「仲間」と呼び無私の愛を示すよう教えます
でもそれは組織にとどまり、考えを共にするならばという条件がついています
組織から離れた人に近づく場合も、組織に戻らせるという目的が必ずあります


でも本物の愛は条件などありません!

考え方や価値観が違ってもそんな事にとらわれず意見を尊重し、純粋に近況を心配しあい、元気で過ごしていることを喜び、困っているなら手を差し伸べる、それができる人達こそが本当の「仲間」だと、つくづく思う今日この頃です