Little Friends -357ページ目

小室哲哉逮捕で思ったこと⑤

(続き)人生、勝つか負けるかしかないと言う人もいる。

だが、何をもって「勝ち」とするか?地位や財産、権力か?

でも、勝つために他人を蹴落とし、地位や財産や権力を守るために、他人を騙したり傷つけたりしなければならないならば、僕は勝ちたいとは思わない。

源義経、今川義元、武田勝頼、土方歳三、榎本武揚、徳川慶喜…歴史を学ぶほど、負けた人が全て無能でダメな人間だとは思わなくなった。

今の僕は、負けた人への憐れみや優しさを忘れず、自然に感謝し、ひっそりと人生を終われれば、それでいいと思っている。

人生における成功も失敗も、実はたいして意味のあることではなく、織田信長の言うとおり、この世はほんの一瞬の夢なのかもしれない。

どんなに成功しても、どんなに失敗しても、最後は何も持たずに土に帰るだけ。

高杉晋作の辞世。

「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり」


※途中から、何を書いてるのかわからなくなった汗

次回からは、またおバカなブログに戻りますm(_ _)m

小室哲哉逮捕で思ったこと④

(続き)僕は「運」などは信じないが、一気に人生を登り詰める人には、努力や才能以外の「運」のようなものが味方するのかもしれない。

勝負は時の運、というけど、この「運」というのは、ほんの一瞬しか味方してくれないようだ。

元の木阿弥と言う。

司馬遼太郎の「国取り物語」で、美濃の蝮と恐れられた斉藤道三が、嫡子義龍に攻められ滅んでゆくくだりがある。

斉藤道三も、ある意味「運」というエレベーターに乗って、双六の目をいくつも飛ばして、一介の素浪人から美濃の国主にのしあがった人物だ。

自分の人生の最後にあたって、道三は家臣に言った。

「双六で言えば、また振り出しに戻っただけだ。人生という双六の中で、ずいぶんと面白い景色を見ることができた。それだけでも、もうけ物だと思え」


ここまで達観できれば、小室哲哉だって、もっと違う人生を歩んだかもしれない。

成功した自分ではなく、あくまで成功する前の自分を基準にしていればいいのだ。

僕はエレベーターにも興味はないし、縁もない。むしろ負けっぱなしの人生だ。むやみに人を信じないし、あてにもしない。

でも、勝つということは、他の誰かが負けるということだ。(続く)


小室哲哉逮捕で思ったこと③

(続き)ラーメン屋の場合は、売れてくれば経営者自らラーメンなど作る必要はない。

だが、音楽家としての小室哲哉の場合、自分が曲を作らねばならない。作っても売れなければ意味がない。

ラーメン業界にくらべると、動かす金額がデカいぶん、防戦一方ではすぐに破滅するだけ。破れかぶれ的に、起死回生を狙って今回のような事件を起こしたのだろう。

難しいところだ。

防戦一方では破滅する。強気で攻めるだけでは、高転びに転んでしまう。

小室哲哉も、僕の仕えた社長たちも、絶頂期の自分の恵まれた立場や生活を手放したくはなかっただろう。

事業の業績が悪化したからと言っても、すぐに自分の生活レベルを落とすこともできないだろうし、見栄や世間体もあるだろう。

でも、地道に階段を一歩づつ登り詰めたのと違い、エレベーターで一気に最上階まで登り詰めてしまったら、あとは同じエレベーターで一気に最下階まで降りてゆくしかない。

こういう成功というのは、あまりにも早く頂点に登り詰めてしまったこと、自分がエレベーターに乗ったということに気づかないことが不幸だと思う。

この場合のエレベーターというのは、自分の努力や才能以外の「何か」だ。(続く)