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津軽海峡の女王②

(続き)「北海道への旅は壮大なオペラであり、連絡船はその序章である」


故宮脇俊三さんはそう述べていたが、僕はそこまで深くは考えず、単に連絡船の旅が好きだった。


青森―函館間は3時間50分。船内には寝台から座席、桟敷席まで多様な客席、食堂、売店、バーやシャワーなどもあって、食堂の名物メニュー「海峡ラーメン」は、たいした味じゃないけどよく食べた。


天気の良い昼間はデッキに出ると、様々な艦船が行き交い、横をイルカの群れが一緒に泳ぐ時もあり楽しかった。


僕の乗船回数No.1は摩周丸。
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今は函館駅近くで保存されているが、動かない連絡船はまるで剥製のようで、かえって切なくなる。


函館の街に響いた、少しオクターブの高い連絡船独特の汽笛の音、今もはっきり記憶に残っている。

津軽海峡の女王①

またなつかしい物をハケーン目
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青函連絡船のオレンジカードと「海峡浪漫周遊きっぷ」。


昭和63年3月、青函トンネル開業と同時に引退した連絡船。普段はガラガラだったのが、廃止2ヶ月前くらいから混むようになった。


日頃乗りもしないくせに、廃止が決まると大挙押し寄せる、このテのお別れ乗車は大嫌いで、僕は一足早く1月に乗り納めに行った。


「海峡浪漫周遊きっぷ」は、この連絡船お別れ人気にJRが便乗して発売したもの。確か道内のJR乗り放題+往復の新幹線やB寝台も乗れたはずで、僕も何度か使った。


初めて連絡船に乗ったのは、高校の修学旅行の時。その時は夜行明けで、ひたすら船内で爆睡していた。


社会人になり、北海道を旅するようになって連絡船が好きになった。(続く)

浅間山噴火△△△ドーン!

雲仙普賢岳のような大災害にはつながらないとは思うけど、東京でも火山灰が確認されたらしいし、あのあたりは全国有数の高原野菜の産地だから、降灰被害も心配だ。


思い出すのは鹿児島の桜島。


西郷さんが戦死した城山の展望台にいたら、いきなり目の前の桜島がドーン!轟音とともに、見る見る黒い噴煙が立ち上ぼった。


避難しなくては!と泡食ったのは僕だけで、横の土産物屋のババァなんか涼しい顔でジュースを補充している。


慣れというものはスゴいものだけど、鹿児島の町を歩いていると、なんとなく町全体がもやっている。止めてある車のボンネットを見ると、うっすら火山灰が積もっている。


1日町を歩いたら、顔や服は真っ黒、髪はバリバリ汗これが何日も続くのは大変だ…。


ドーン!と言えばこの人?
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