2月24日(火)、猿若祭二月大歌舞伎の夜の部を見ました。
最初の演目は、
16時30分から17時55分。『一谷嫩軍記』の『陣門』、『組打』。
『一谷嫩軍記』は、宝暦元(1751)年、豊竹座で初演した人形浄瑠璃。
作者は、並木宗輔(千柳)。
翌年には、歌舞伎として上演。
『陣門』
一ノ谷の、平家の陣所。
先陣の功名をあげるために、熊谷小次郎が。遅れてやって来た平山武者所が、小次郎をあおり。
で、小次郎は、陣門の中に駆け込んで。
そこに、父の熊谷直実が駆けつけ、陣門に。
そして、怪我をした小次郎を救い出し。
『組打』
平敦盛を追い詰めた直実。しかし、敦盛の凛々しさに、躊躇していると、平山武者所が、その様子を見ていて。
で、直実は、敦盛の首をはね。
そこに、瀕死の状態となった、敦盛の恋人の玉依姫があらわれて。
と、物語は、激しく動き。
そのなかで、いくつもの『生』と『死』が交錯し。
ただ、この『陣門』と『組打』でけでは、歌舞伎の、お得意の、『実は…』がわからない。
『熊谷陣屋』で、この『実は…』があかされ、物語が、最高峰へと登り詰めるのに。
言い方を変えると、メインデッシュの前で、ディナーが終わってしまった感じ。
熊谷直実を、勘九郎。
熊谷小次郎と敦盛を、勘太郎。
次が、『雨乞狐』。
18時30分から19時07分。
『筋書』の、『解説とみどころ』によると、
「大沼信之作、五世鶴澤燕三作曲、梅津貴振付」
1982(昭和57)年9月、国立劇場で催された「尾上恵之助の会」で、18代目中村勘三郎(当時、勘九郎)により初演。
以来、中村屋が。
野狐、雨乞巫女、座頭、小野道風、狐の嫁(演者により狐の精に。また、提灯が加わることも)を早変わりで。
本来は、中村鶴松の襲名披露の演目?
それが、直前に、『不祥事』があり、鶴松は、当分、謹慎。
で、勘九郎と、七之助が。
諸国が干魃に苦しめられるなか、大和国の源九郎狐の血を引く野狐が、雨乞の踊りを。次々に、雨乞巫女、座頭などに変化し。
勘九郎、七之助を見ていると、子どもの頃から、その立ち居振舞いを鍛えられ、それが身体の隅々にまで行き渡っていると感じます。
細かな所作などはわかりませんが、身体から発せられるエネルギーに、圧倒され。
最後の演目が、『梅ごよみ』。
19時32分から21時10分。
江戸後期の為永春水の人情本『春色梅児誉美』、その続編の『春色辰巳園』を原作。
「深川芸者の仇吉と米八の、丹次郎を巡る恋の鞘当」と、
「畠山家重宝『残月』の茶入を巡る」物語。
為永春水の原作をもとに、様々に脚色がなされ。
現在は、
1927(昭和2)年7月の歌舞伎座での上演。
木村綿花の台本。
永井荷風の舞台監督。
鏑木清方の美術。
のものが、上演を重ねて。
仇吉を七之助、米八を時蔵。ともに、初役。
歌舞伎界の急速な世代交代により、この『初役』の舞台が多くなりました。
今回は、若々しさと、美しさが。
もっとも、記憶にあるのは、仇吉が玉三郎。米八が18代目の勘三郎(当時、勘九郎)。
玉三郎の、深川芸者としての、気っ風のいい口調が、耳に残っています。
そして、美しさも。
丹次郎は、中村隼人。
玉三郎の時には、仁左衛門(当時、孝夫)の丹次郎の印象が強く。
仁左衛門の、気品のある艶気。その、柔らかさ。
ただ、最近、めきめきと力をつけ、その評価も高く。
この丹次郎の役に、よくはまり。
隼人も、初役。
物語の展開を承知していて、最後は、どのように落ち着くのかわかっていても、舞台に引き寄せられるのは、物語のおもしろさとともに、役者の魅力が加わるため。




この『一谷嫩軍記』で、5日、勘九郎が花道から颯爽と登場する場面で、前方につんのめる形で、花道上に落馬。
しかし、その後は、何事もなかったかのように。
これが、客席に落ちていたら、と思うと。