3月18日(水)、劇団東演の『サムとハロルド』を見ました。
3月22日(日)までの公演。
作者は、アソル・フガート(1932~2025)。
この作品は、1982年に発表され。
トニー賞最優秀戯曲賞。
ニューヨーク・ドラマ批評家協会賞。
などを、受賞。
原題は、
『Master Harold …and the Boys』
この原題の方が、作品の内容を、より伝えていると思うのですが。
日本初演は、1989年。俳優座劇場プロデュース公演。
見てはいません。
今回の演出は、西川信廣。
舞台は、1950年。
南アフリカのポートエリザベス。
そこにある、「セント・ジョージズ・パーク・ティー・ルーム」。
アパルトヘイト政策がとられ、公然と、人種差別がおこなわれていた時代。
従業員のサム(能登登)と、ウィリー(星野真広)が、店の片付けをしながら、2週間後に迫った社交ダンスのコンクールのための練習を。
ふたりの間で交わされる言葉のやり取り。
そこに、店のオーナーの息子、17歳のハロルド(立木遼太郎)が学校から帰って来て。
宿題に関する、サムと、ハロルドとの他愛もない言葉のやり取り。
しかし、ハロルドの母親から電話があり、父親が退院したがっていて、それを止められない、と。
絶対に、退院させてはいけないと訴えるハロルド。彼には、父親が戻って来た場合、どのようなことが繰り返されるか、よくわかっていて。
混乱するハロルド。
父親を愛し、母親を愛し。
しかし、その根底にある、愛さなくてはいけないという、自らを縛る『掟』があり。
そして、そう思わせる、父親の絶対的権力があり。
サムとハロルドとの会話も、そうやり取りにぶつかり合いが生じ。
ハロルドは、白人として、黒人に、どのような態度をとるべきかという、もうひとつの、自らを縛る『掟』を振りかざし。
ハロルドは、「ハリー」と親しげに呼ぶことを許さず、「ハロルド坊っちゃま」と呼べ、と。
少し前までの、まるで親子を思わせる関係から、支配する者と支配される者との関係へ。
演出の西川信廣は、
「このドラマは、人種や宗教や文化や習慣の違う人々が共生してゆくことの難しさを問いかけています。であっても、希望がないわけではないとも投げかけています。」(劇場で配布されたパンフレット)
果たして、この先、サムとハロルドとの和解はあるのか、やがて、共生してゆくことが出来るのか?
三人の『対話』。
後半、サムとハロルドとの間に、対立が生じた頃から、舞台の緊張感が高まり。
一気に、おもしろくなりました。
ということは。
前半の、サムとウィリーとのやり取り。仲間同士の打ち解けたやり取り。であるのに、舞台の空気の固さ。
それぞれに、力のある俳優。
にも関わらず。
あくまでも個人的感想としては、前半は、もっと軽やかに。
観客の肩の力を抜かし。
では、どうだったかな、と。





公式サイトから
『サムとハロルド』の初演は1989年9月。当時、南アフリカでは、まだアパルトヘイト(人種隔離政策)が完全には撤廃されていない時代で、白人と言うだけで社会的に黒人よりも優位でした。そんな時代でありながら、この作品は、仲の良い白人の少年と黒人ウェイター、ところが、ほんの少しのきっかけから亀裂が生じ、二人の中に急速にヒビが入っていく……。いま、分断と対立が世界に広がり、「××ファースト」の名のもとに、人種差別や排外主義が広がりつつあります。そんな今、この作品が再演できることに喜びと、緊張を感じます。演出・西川信弘
時は1950年。南アフリカ共和国のポートエリザベスにある「セント・ジョージズ・パーク・ ティー ・ルーム」。どしゃ降りの雨が降り、風の強いある日の午後、この店で働く黒人のサムとウィリーは、二週間後に迫った社交ダンスのコンクールに出るために練習に励んでいる。そこへこの店のオーナーの息子・ 17歳のハリーが学校から帰って来る。ハリーはサムに教科書を見せ、文字や意味を教えながら家庭での悩みを話すなどまるで親子のような親しさだ……。しかし、超えられない溝も少しずつ見え隠れしていくのだった……。