9月20日(金)、池袋の東京芸術劇場プレイハウスで、木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』を、見ました。
東京公演は、9月29日(日)まで、
木ノ下歌舞伎は、以前に、何作品か見ていますが、この『三人吉三廓初買』は、初めて。
すでに、2014年版を、京都芸術劇場春秋座で。
2015年版を、東京芸術劇場シアターウエストで。
この2015年版が、読売演劇大賞2015年上半期作品賞部門のベスト5に、選出されています。
その2015年版、見たいという気持ちもあったのですが、5時間を越える上演時間の前に、怖じ気が。
しかし、今回は、ぜひ、と。
(2020年版は、コロナ禍で、上演中止に。)
で、これまでは、『三人吉三』。
今回は、『三人吉三廓初買』と、もともとの題名に戻して。
作者は、河竹黙阿弥(1816~1893)。
『三人吉三廓初買』は、安政7(1860)年1月14日、市村座の初演。
現在でも、人気狂言で、繰り返し上演されています。
ただ、長く入り組んだ物語なので、切り取られての上演。
よく演じられるのが、『大川端庚申塚の場』。三人の吉三郎の出会いの場です。
木ノ下裕一の監修・補綴。
杉原邦生の演出。
プレイハウスの舞台。
大きな階段がふたつ。その階段の上が、もうひとつの舞台。つまり、二重の構造。
どれも、素材は、金属を思わせて。
階段は、上手下手に移動出来。
開演前から、舞台上に、立看板があり、そこには『TOKYO 』という文字。
舞台が始まり、黒子が、それを裏返すと、『EDO』と。
そして、それが片付けられ。
第一幕一場『湯島天神境内の場』から始まり。
もともとの作品は、
「内容はもちろん江戸の話だが、時代は源頼朝の治下、事件の起る土地は鎌倉。これは初春興行には曾我物を上演するという江戸歌舞伎の慣例に従って、全体を曾我十郎・五郎の世界に設定したための処置だが、同時に、現在の人名や事件を脚色してはならぬという禁令から生れた近世固有の劇作法(以下 略)」
(『三人吉三廓初買』新潮日本古典集成、今尾哲也 校注の頭注)
一幕13時から、115分。
25分の休憩。
二幕15時20分から、75分。
20分の休憩。
三幕16時55分から、85分。
終演は、18時20分。
体力・気力を使い果たす、というのではなく、むしろ、余裕。
というのも、物語に起伏があり、そのエネルギッシュな展開に引き寄せられたから。
木ノ下裕一の監修・補綴は、河竹黙阿弥の『三人吉三廓初買』の、大筋を根幹に置いて、そこに、さまざまな人物を絡ませて。
三人の吉三郎の物語。
和尚吉三(田中俊介)と、父親土左衛門伝吉(川平慈英)。そして、おとせ(深沢萌華)と、十三郎(小日向星一)。
安森源次兵衛の子のお坊吉三(須賀健太)と、妹の、丁子屋の花魁となった一重(藤野涼子)。その一重に思いを寄せる文里(眞島秀和)。その妻おしづ(緒川たまき)。
お嬢吉三(坂口涼太郎)と、その父親の八百屋久兵衛(武谷公雄)。
再び、今尾哲也の解説「『三人吉三』の成立」から、
「黙阿弥もまた、世界を『曾我』に求めた。だからといって、『曾我』とまともに取り組む気が、彼にあった訳ではない。『曾我』はすでに、素材としては余りにも使い古されてしまっていたし、むしろ『対面』の場に趣向を凝らして見物をあっと言わせることが、『曾我』を扱う作者の腕だとされていたからである。彼は、その対面を、和尚吉三の見た夢物語りとすることによって、『曾我』の香りを残しながら、『八百屋お七』の世界を全面的に導入したのである。」
その和尚吉三の見た夢の場面が、第二幕一場の『地獄正月斎日の場』。
この『場』は、見たことがありませんでした。
というのも、2014年版2015年版で、初演以来154年ぶりに上演されたので。
ここに、『曾我』の最大の山場の『対面の場』が用意されていて。そのパロディが展開して。
この『曾我』の『対面の場』自体は、独立して、繰り返し、歌舞伎で上演されていますが。
黙阿弥は、しかも、さらに、その『八百屋お七』の世界を解体して、『三人吉三』の世界を構築。
さらに言えば、さらに、『三人吉三』の世界を、再々構築したのが、木ノ下裕一ということに。
木ノ下裕一の言葉を引用すると、
「『三人吉三廓初買』は“居場所”をめぐる物語といえるのかもしれません。実家と絶縁状態の和尚吉三、家そのものが消滅してしまったお坊吉三、幼い頃に家族からはぐれて育ったお嬢吉三ら三人の吉三郎をはじめ、家が没落した文里一家や、廓勤めの一重まで、主要なキャラクターたちはみんな、あるべき居場所に安住できなかった人びとです。吉三郎たちが義兄弟の契りを結ぶのも、文里一家と一重が擬似的な家族を形成するのも、新たなコミュニティ、居場所を求めてのことなのかもしれません。」(劇場で配布されたプログラム)
と。
杉原邦生は、
「人は変えることのできないものを前にしたとき、どのようにして歩みを進めていけるのでしょうか。たとえば運命や宿命、過去、起きてしまった事実、自分だけの力ではどうにもならないことーーそういったものと向き合うとき、人は自分自身を〈変化〉させていくしかないのではないかと僕は思っています。そこには苦悩や葛藤、未練、迷い、恐怖が渦のようにまとわりつきます。ですが、そうすることでしか、人は前に進めないと思うのです。
(中略)
『三人吉三廓初買』は、江戸から明治への大きな変革を迎える時代に、変えることのできないものを前にした市井の人びとが、自分自身を必死に〈変化〉させ、希望へと向かっていく物語です。その姿が丁寧に描き込まれた台本を余すところなく伝えたい、そう考えたからこそ、5時間という長大な上演時間になっています。」(前記、プログラム)
長い引用になってしまいました。
しかし、河竹黙阿弥が、この物語を作った時、その『時代』、『世界』はどうであったか。
「天保・弘化、嘉永、安政と、僅か三十年ばかりの間に、天災に、人災に、自然の秩序は大きく揺れ動き、生活の秩序は乱れ、生命の秩序の破壊=非業の死が相次ぐ。大飢饉、大火、地震、洪水、コレラ禍、大塩の乱、天保の改革、異国船の来航、安政の大獄……。」(今尾哲也の解説)
そして、安政2(1855)年の江戸の大地震。
「人間は、日常の秩序を生活の拠り所として生きている。生命の秩序、個人の秩序、家庭の秩序、所属集団の秩序、社会の秩序、そして、自然の秩序。それらの秩序は、歴史的・地域的に成立し、恒常的なものと観念され、それらの秩序への適応が、生活の実態を形作る。
幕末のさまざまな災禍は、それら日常的秩序のすべてを、根底から打ち砕いた。人々は生活の拠り所を失うとともに、この世からなる地獄の現れるのを見た。」
(今尾哲也の解説)
引用ばかりとなっていますが、黙阿弥の生きた時代、黙阿弥の描いた世界と、現代との『回路』を考えています。
繋がるもの、重なるもの。
木ノ下歌舞伎が、『歌舞伎演目の現代演劇化』という姿勢で、作品に取り組み。
『三人吉三廓初買』を「“居場所”をめぐる物語」として、「現代演劇化」したことが、作品の根幹を形成し、成功しているのではないかと、思うのです。
5時間を越える上演時間ですが、おもしろい作品であるならば、時間の『長さ』は苦になりません。
文楽公演、以前は、『通し』が多くおこなわれていて、最初に見た『菅原伝授手習鑑』は、9時間を超えていましたが、夢中になってしまいました。
ラスト。
降りしきる雪。
死を迎える和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三。
一重の死を見届けて、家路をたどる文里、妻おしづ。子・鉄之助。
そのふたつの『世界』が重なって描かれ。
倒れ伏した和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三の前に、最初にあった看板が置かれ。
『EDO』の文字案内を裏返すと、そこには、何も書かれておらず。
それは、どこでもない場所、どこでもある場所、ということなのでしょうか。
そして、それは、三人の墓にも見えて。
それにしても、東京芸術劇場プレイハウスでの上演。
今回の『三人吉三廓初買』の主要キャストは、ほとんどが、木ノ下歌舞伎初参加。
木ノ下裕一が、「今回、このような形で、大変すばらしい俳優陣、スタッフ陣に恵まれ」(プログラム)
と記しているのは、意地悪な読み方をするならば、これまでは恵まれていなかったということになり。
もちろん、そのようなことを、プログラムの挨拶として書くことはないでしょうが。
しかし、俳優陣の充実を感じたことも、確か。
今回、客席に、高齢者の姿も(自らも含めて)多かったのです。
そして、大いに楽しんでいる感じが。
公式サイトから。
キノカブ渾身の5時間を超える、一大エンターテインメント作品!
2006年から京都を中心に活動を始め、多数の古典作品の現代劇化に取り組んできた木ノ下歌舞伎(通称:キノカブ)。昨年上演した、演出・美術の杉原邦生とのタッグによる木ノ下歌舞伎『勧進帳』は、東京をはじめ各公演地で好評を博しました。
同じく監修・補綴の木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)、演出・美術の杉原邦生による『三人吉三』は、2014年にKYOTO EXPERIMENTで初演。翌2015年には、東京芸術劇場が若手演劇団体と提携して公演をおこなう“芸劇 eyes 公演”としてシアターウエストに初登場。本作は、読売演劇大賞2015年上半期作品賞部門のベスト5に選出され、キノカブ代表作の一つとなりました。
今回の再演では、演劇界注目の若手、ベテラン俳優陣が新たにキャスティングされ、木ノ下が再補綴に取り組み、さらに国内外の古典作品から新作を問わず、精力的な活動で演出実績を積む、杉原邦生(KUNIO主宰)の再演出にも注目です。
江戸幕末の動乱期に生まれ、今日まで愛され続ける歌舞伎演目「三人吉三」。今や幻となった「地獄の場」を完全復活させ、黙阿弥オリジナル版の全幕通し上演が見れるのは、キノカブ版のみです。
ご期待ください!
【あらすじ】
江戸時代。刀鑑定家・安森源次兵衛の家は、何者かにお上の宝刀・庚申丸を盗まれて断絶となっていた。ある時、立身出世を目論む釜屋武兵衛は、巡り巡って木屋(刀剣商)文里のもとにあった庚申丸を金百両で手に入れる。しかし文里の使用人・十三郎は、その取引の帰り道、夜鷹(街娼)・おとせと出会い、受け取った百両を紛失。思いがけず百両を手にしたおとせだったが、十三郎を探す道すがら、女装の盗賊・お嬢吉三に百両を奪われてしまう。
様子を見ていた安森家浪人・お坊吉三は、お嬢吉三と百両を巡って争うが、そこに元坊主・和尚吉三が現れる。彼がその場で争いを収めたことで、三人は義兄弟の契りを結ぶ。
また、失意の十三郎は、川に身投げしようとしたところを、和尚吉三の父・伝吉に拾われていた。訪れた伝吉の家で、彼はおとせと再会し…。一方、吉原の座敷では、文里がお坊吉三の妹で花魁・一重に想いを寄せていた。人柄で評判の文里だったが、彼には妻子があった。文里の求愛を一重が拒みつづけていたある日、文里は、ある決意を座敷で語りはじめる。