7月10日(水)、東京芸術劇場シアターウエストで、
「Serial  number 11」の『神話、夜の果ての』を見ました。

7月5日(金)から14日(日)までの上演。

作・演出は、詩森ろば。

舞台中央に、ベッドが1台。
ここは、拘置所の保護室。

そのベッドの上に、ミムラ(坂本慶介)。

彼は、カルト教団の施設で子ども時代を過ごし、ある犯罪に関わり、この場所に。

彼の弁護を依頼された国選弁護人のクボタ(田中亨)。


そのふたりのやり取りに関わる刑務官のキジマ(杉本隆幸)。

杉本隆幸は、教団施設での教育担当者の2役。


精神科医メサイヤ(廣川三憲)。


ミムラの前に現れる、不思議な少女シズル(川島鈴遥)。


登場人物は、6人。


物語は、彼らの語る言葉のやり取りのなかに展開して。


チラシに、

「カルト宗教の施設で子供時代を過ごした過去をもつ青年の現実と精神世界が混じりあいながら彼の犯した犯罪の全容が明かされていく神話の如き物語です。」

とあり。


※こまかなことですが、

「過ごした過去」とか、

「犯した犯罪」

という表現が、気になってしまいます。


また、劇団のサイトに、

「4人の会話は迷走し、もつれ、記憶と現在と精神を行ったり来たりしながら、青年の苦しみと、結果犯してしまった犯罪のかたちが浮かび上がる。」

とあるように、


会話は「迷走し、もつれ」て。

しかも、それが現実であるのか、心象世界であるのか、現在なのか、過去なのか。

それらが交錯して。

そこから『実体』を構築していくことがむずかしいと感じました。


言葉が行き交い。

『意味』がやり取りされ。


しかし、それを発する存在に、『実体』を感じられず、当然、物語に『実体』を感じられず。


言い方を変えると、作者の観念世界に入り込むことが出来ず。

その世界の上空を、ただただ浮遊して。


という状態でした。


居眠りしていたとか、ところどころ意識が飛んでいたということはなく。


一生懸命に舞台に向き合い、台詞を一言一句聞き逃すまいと耳をそばだてていたのですが。


劇団のサイトから。

1995年 都心の地下鉄において化学兵器を使用したテロが発生し、多くの死傷者を出した。そして、2022年 元首相が選挙の応援演説中に凶弾に倒れた。それぞれ違う宗教団体が関わっていたことが判明し、社会に衝撃を与えた。直接的な関係を持たないふたつの事件は、現代人の寄る辺なさが縋るものを求めた結果、前者は歪んだ正義のかたちで、後者は他者への殺意をともなう怨恨のかたちで噴出し、結果として、無辜の命を奪ったという点で通底している。

1995年の事件では団体の本拠地から多数の子供たちが救出され、教祖の娘は、義務教育からさえ拒否され学校にもまともに通えないなか、大人になった。2022年の事件では、母親が宗教に傾倒していくなか孤独を深めた息子が、ついには人として超えてはいけない一線を越えてしまったことが白日の下に晒された。

信仰とは、本来、人間をこえた存在(神)を前提とした教義に基づき自分を律し、幸福や安寧を得るためのものだ。しかしその中で、多額の献金や過度の献身などが起り、狂信化していくことがある。それはどこで一線を越え、カルト化し、暴力へと転じていくのか。詩森ろばの新作はカルト宗教の子供たちという視座を通じ、そのすべてを演劇のかたちで問いかける問題作。


この現代の黙示録とも言うべき物語の出演者は5人。詩森作『secret war-ひみつせん-』で登戸研究所で戦時研究に従事し人体実験を行った科学者を演じ、その後、『Angels in America』『デカローグ』と新国立劇場制作の大作への出演が続く坂本慶介。NHKドラマ『レオポルトシュタット』、二兎社『パートタイマー・秋子』『デカローグ』など話題の舞台への出演が続く田中亨、詩森作品に数多く出演している実力派・杉木隆幸。そしてナイロン100℃所属、舞台や映像で活躍中の廣川三憲という充実のキャストで挑む。

《ものがたり》

青年は目を覚ますと、精神病院にいた。自分がなぜここにいるのか、自分が誰なのかさえ青年はわからない。そばにいるのは、精神科医と夢とも現実ともわからない少女である。ある日、精神科医の元を弁護士が訪ねてくる。国選で青年の弁護士となった彼は、保護室にあり「心身喪失状況」の青年と面会することもできていない。4人の会話は迷走し、もつれ、記憶と現在と精神を行ったり来たりしながら、青年の苦しみと、結果犯してしまった犯罪のかたちが浮かび上がる。


《演出家の言葉》

神を持つという生活をしたことがありません。なので1995年に起った事件に足元が崩れ落ちるような衝撃を受けました。高校の同級生にいそうな同世代の頭のよい、優し気な若者たちが起こした無差別テロ事件。しかし演劇にすることもなく30年はあっという間に過ぎました。そこにまたひとつの衝撃的な事件が起こりました。書かなきゃいけないんじゃないか、と思いました。

と同時に、何十年も前に、うちの母と祖母が、不思議な集会に出ていた姿を不意に思い出したのです。たくさんのひとが泣きながら自分を救ってくれた奇蹟の話をしていた。小学生のわたしはその様子を窓の向こうがわから見ていた。

「ムカンケイナンカジャナカッタジャナイカ」

寄る辺ない夜、母が恋しくて自分の身体を傷つけていないと保てなかった子供や、朝、満員電車の中で、ビニール袋に傘を突き立てた若者が、わたしがどこかで捨ててきたもうひとりの自分なのだとしたら。わたしは書こうと思います。山奥にある「ニューヘイブン」という架空の宗教施設、そこで育った子供たちの物語を。   詩森ろば