7月3日(水)、『ホールドオーバーズ 置いてきぼりのホリディ』を、見ました。
監督は、アレクサンダー・ペイン。
脚本は、デビッド・ヘミングソン。
題名の『ホールドオーバーズ』とは、留任者、残留者という意味。
そこに、『置いてけぼりのホリディ』との、副題を、日本で付け足したわけですが。
ただ、この『置いてけぼり』という、軽い表現とは異なり、内容は、
「孤独な魂が寄り添い合い、思いがけない絆が生まれる」
「孤独な魂が寄り添い合う」
「ほろ苦く、あたたかな、良質ドラマ」(いずれも、チラシ)
という具合で、見終えたあとも、登場人物たちのその後にも、思いが馳せました。
また、「ホリディ」。
クリスマス、新年という、家族がひとつところに集い、ともに過ごす、その事の意味の重たさが、そこには現れていない、と。
時代は、1970年。
その1970年であることの『意味』が、作品の内容と大きく関係しています。
場所は、ボストンの近郊。
そこにある、名門の、全寮制男子校バートン校。
歴史の教師であるポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)は、頑固で融通のきかない教師として、生徒たちからも、教員仲間からも嫌われて。
ポール自身も、バートン校の卒業生。
母校に戻り、長らく教師を勤め、現在の校長も、彼の教え子のひとり。
クリスマス、新年を迎え、学校も休みとなり、生徒たちも、それぞれの家族のもとに。
しかし、事情があって、休み中も、学校にとどまらなくてはならない生徒も。
その生徒たちの面倒を見る教師、誰もが避けたい勤務で、今年度の担当教師は、妻が病気と偽り、『難』を逃れ。
その代わりとして任命されたのが、ポール。
家族を持たず、帰る家を持たないポール。
このポールが、生徒たちから、いかに嫌われているか。校長はじめ教師仲間からも、いかに嫌われているか。
しっかりと描かれています。
数名の生徒が居残ることに。
その中のひとりアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)は、母親とともに過ごす約束をしていたにも関わらず、母親は、再婚相手と旅行に行くことになり。
しかも、居残りの生徒たち、その中のひとりの親がヘリコプターでやって来て、他の生徒も含めてスキーに招待。
アンガス以外は、それぞれの親の許可が出て、窮屈な寮生活から解放されて。
しかし、アンガスの母親とは、連絡が取れず。
結局、アンガスただひとりが、ひと冬を、バートン校という閉ざされた世界で、しかも、ポールという、嫌われ教師とともに過ごすことに。
アンガスにとって、母親との旅行の直前のキャンセルに加えて、母親から見捨てられたことが重なり。
もうひとり、寮に残ったのは、寮の料理長のメアリー・ラム(ダバイン・ジョイ・ランドルフ)。
彼女は、ひとり息子のカーティスを、ベトナム戦争で失ったばかり。夫も、すでに、なく。
という、ポール、アンガス、メアリーの、三人の物語。
その物語の展開の中で、ポールの過去。
アンガスの、父親の存在。
も明らかとなって。
時に反発しあいながら。
その描き方が、とても丁寧で、それぞれの人物の、心の傷に、自然と寄り添うことが出来。
そして、ある出来事により、ポールは、バートン校を去ることに。
ただ、ネタバレになってしまうのですが。
それは、敗残者としての、旅立ちではなく。
過去の自分との訣別をすませ、胸張っての旅立ち。
しかも、校長に対しての、『仕返し』をして。
それは、同じように、アンガスも、メアリーも、過去にとどまるのではなく、それぞれの一歩を踏み出して。
「ほろ苦く、あたたかな」物語。
監督のアレクサンダー・ペインが、インタビューで語っているように、
「今の私たちの世界が間違った方向に向かっている中で、3人の登場人物はまったく性格が違うにも関わらず、お互いにお互いを愛する方法を見つける」
という物語です。
1970年が終わり、1971年が始まる。
その時代を知っている者にとっては、懐かしい『世界』が描かれていました。
例えば、
ポールとアンガスが、ボストンに出かけ、映画館に入り。
そこで見ていたのが、
『小さな巨人』。
アーサー・ペン監督。
ダスティン・ホフマン主演。
1970年の作品です。
非常に強い感動を与えられた作品で、まさか、この『ホールドオーバーズ』の中で再会出来るとは思いませんでした。
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