6月13日(木)、下北沢の駅前劇場で、劇団チョコレートケーキの『白き山』を見ました。
駅前劇場、久しぶりです。

コロナ感染を怖れて、下北沢は、本多劇場以外は足を遠ざけていたのですが。

先日、ザ・スズナリに。

そして、駅前劇場。


6月16日(日) までの公演で、すでに終了しています。


古川健の脚本。

日澤雄介の演出。


劇団チョコレートケーキの作品は、見逃さずに、見続けていこうと思っています。


今回は、『白き山』。

斎藤茂吉(1882~1953)を主人公として。

もちろん、

「いつもの文言で恐縮ですが、この物語は歴史的な事実を参考にしたフィクションです。実在の人物をモチーフにしておりますが、全ては創造の産物です。特に今回は作劇上の必要で、登場人物の設定(年齢・経歴等)にも実在の人物から変更している点がいくつもございます。その点のみお含み置きいただければ幸いです。」

として、さらに、

「逆に作品上に登場する短歌等は、そのまま引用させていただいております。」

と。

(劇場で配布されたプログラムの、古川健の言葉。)


『白き山』は、斎藤茂吉の歌集の題名であり、1949(昭和24)年に刊行。


高校で習った、近代日本の文学史でも、

斎藤茂吉の処女歌集『赤光』(1913)、第二歌集『あらたま』(1921)と、この『白き山』をセットにして覚えました。


舞台は、敗戦の年。(劇中では、終戦という言葉は使われません。)

山形県の、金瓶(かなかめ)村。茂吉の、生まれ故郷。


茂吉は、ここに疎開。

しかし、敗戦となっても、東京に戻ろうとはせず。

しかも、短歌を詠めなくなっていて。

なぜ、詠めなくなってしまったのか。

茂吉の焦り。

言葉が、からだのうちから、湧いて来ない。


そこにやって来たのは、茂吉の長男の茂太(浅井伸治)と、次男の宗吉(西尾友樹)。

そして、茂吉の高弟の山口茂吉(岡本篤)。


また、舞台には、しばしば、近所の農婦で、茂吉の賄いをしている守谷みや(柿丸美智恵)も登場します。


なお、斎藤茂吉は、当初、村井國夫が予定されていましたが、体調不良で降板。緒方晋がつとめました。


茂吉は、なぜ、歌を詠めなくなったのか。


戦争中、文学者や画家なども、戦争遂行に協力することを求められ。

強制的に、あるいは、自主的に、戦争讃歌の作品を、世に送り出し。

それは、茂吉も同じこと。


そこに生み出された、多くの駄作。


茂吉の長男の茂太は、精神科医であるとともに、優れたエッセイストとしても知られ。

また、次男の宗吉は、同じく、精神科医であるとともに、小説家北杜夫として知られ。


北杜夫。

彼の小説も、随筆も数々読んで。

好きな作家のひとりでした。


そのふたりの作品から、斎藤茂吉について、多くのことを知り。


それだけに、この『白き山』のなかで展開されるエピソード、とてもとても懐かしく。

また、会話のなかにのみ登場する輝子夫人とのエピソードも、ふたりの随筆から、北杜夫の娘の斎藤由香の随筆から、立体的に想像することが出来て。


そうした『斎藤家の人びと』(北杜夫には、『楡家の人びと』という小説があります)の、個性豊かなやり取りのおもしろさ。


しかし、その根底にあるのは、『斎藤家の人びとの戦争』。


斎藤茂吉の戦争。

茂太の戦争。

宗吉の戦争。

それぞれが、背負うことになった戦争。


茂吉自体が、個性豊かな人物で、ふたりの息子、高弟、賄い婦たちとの関わり方に、客席には、笑いが絶えず。

舞台は、活気に満ちて。


やがて、茂吉は、歌集『白き山』を世に問うて。


これは、斎藤茂吉の再生の物語。


会話のなかに、岩手県の寒村に身をひそめた、高村光太郎のことが出て来ますが。


それにしても、作品のなかでも紹介されますが、

『赤光』の、『死にたまふ母』の連作。

高校時代に出会い、衝撃を受けました。


この日は、終演後、『アフターアクト』(登場人物にスポットをあてた一人芝居。本編では語られないもうひとつの物語)があり、

浅井伸治の演じる、斎藤茂太の、壮絶な戦争体験が。

10分ほどの作品ですが、見ごたえがありました。