6月12日(水)、すみだパークシアター倉で、劇団桟敷童子の『阿呆ノ記』を見ました。

6月16日(日)までの公演。すでに終了しています。


作、サジキドウジ。

演出、東憲司。

美術、塵芥。


時代は、明治の終わり。

舞台は、九州の山奥の村。『阿呆村』。


そこに暮らす、狩猟を生業とする人びと。


すみだパークシアター倉の空間を、活かして。


見始めて、そして、見終えて、そこに、演劇としての『原初的』エネルギーの充満を感じました。

それは、『土俗的』エネルギーと言い換えることも出来て。


劇団桟敷童子の舞台、久しぶりに、そのエネルギーに圧倒されました。


日本の近代化。そのことによって生じる国家間の軋轢。そして、戦争。

その近代化の『歪み』は、山奥の村人にも、避けることの出来ないものとして。


物資輸送を目的とした鉄道の敷設。森の木々を切り、山を崩し。

それにかり出される村人たち。


阿呆村の女頭目として、村人をまとめるのが伊織(音無美紀子)。

夫を戦争で失くし。

息子の啓太郎(三村晃弘)が、鉄砲衆頭となり。


伊織を演じる音無美紀子の、堂々として、その背筋の伸びた生き方。


『風を打つ』(トム・プロジェクト、作・演出ふたくちつよし)でも、熊本県水俣に生きる女性を、妻として、母として、水俣病の被害者として、そして漁師としての姿を、たくましく演じていて。

この作品で、音無美紀子は、文化庁芸術祭優秀賞(2019)、読売演劇大賞優秀女優賞(2022)を受賞していますが。


この『阿呆ノ記』も、音無美紀子が中心に存在することで、しっかりとした『芯』が生まれて。


山が崩され、森が破壊され、次第に、狩猟での生活が困難となるなか、村人は、現金収入の魅力と、召集免除の誘惑に、鉄砲衆から離脱していき、鉄道敷設現場の労働者となり。

残ったのは、息子の啓太郎ひとり。

しかし、その啓太郎は、猟に出て、山崩れにあい、半身不随に。


あとには、伊織の孫・啓太郎の息子である甚太郎(加村啓)。


戦争の激化。

召集免除というのが、実は空手形で、村人は、次々に戦地に送られて。

彼らを、甘い言葉で誘った村役場職員の馬田(吉田知生)にも、召集令状が届き。


『阿呆村』というのは、

サジキドウジの創造した登場人物の『阿呆丸』に由来。


『阿呆丸』というのは、

「その昔、人柱・生贄専門に育てられた子供達がいた。捨て子や孤児が集められ、民衆の為に死んでゆけと教えられる。子供達は、死後は神様と共に平穏に暮らせると信じている。」(劇場で配布されたプログラム)

という存在。

明治新政府のもと、人柱や生贄は禁止され。

しかし、ここには、年老いた『阿呆ノ婆』が、森のなかに生き延びていて、『その時』を待ち。


さらに、村人を襲う、飢餓。


絶望的状況。

伊織は、どのように、村人たちに、その生き方をしめしたか?


山が崩れ、大地が揺れ。

実際に、舞台が大きく揺れます。まさに、スペクタクル。


かつての『テント芝居』につながり。


近代日本の、矛盾をかかえながら突き進んでいく、その大きなうねりを受けて、翻弄される村、家族。やがては、そのうねりの底に消えていく村、家族。


伊織の弟の玄葉を、原口健太郎。


隣町の鉄砲火薬問屋の娘のつじゑを、大手忍。


九州対馬組の行商・久那代を、鈴木めぐみ。


阿呆ノ婆を、山本あさみ、川原洋子、板垣桃子。

など。