5月10日(金)、北千住にある『シアター1010』で、文楽です。
国立劇場が閉場して、東京でのホームグランドを失った文楽は、日本青年館やら、このシアター1010やら、次は新国立劇場小劇場と、会場をかえて。
で、5月文楽公演。
まずは、Aプロから。
11時開演。
『寿柱立万歳』。
「家屋を立てる際初めて柱を立てる儀式“柱立”。太夫と才三が、門口で小鼓と扇を手に柱立を披露し、家々の繁栄を祈りつつ、賑やかに舞います。」(チラシ)
1915(大正4)年10月、御霊文楽座での初演。
「三河路を野暮な太夫と二人連れ」とか、
「参州三河に隠れもない」という詞章にあるように、もともとは、『三河万歳』。正月に家々を門づけして滑稽なやり取りをしてまわる。
その太夫と才三。
太夫を、咲寿太夫。
才三を、亘太夫。
三味線は、清馗など。
人形役割
太夫を、清五郎のはずが、退座とのことで、簑太郎。
才三を、文昇。
清五郎さん、その長いキャリアの果てに、何があったのか、気になります。
そして、『襲名披露 口上』。
豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫。
大阪の文楽劇場と同じく、呂勢太夫が司会・進行をつとめ。
太夫の部、錣太夫。
三味線の部、團七。
人形の部、勘十郎。
次の演目は、『和田合戦女舞鶴』。
呂太夫さんの、十一代目豊竹若太夫襲名披露公演です。
4月の大阪での襲名披露公演でも、上演されています。
元文元(1736)年3月、豊竹座での初演。作者は、並木宗輔。
北条氏が和田氏を滅ぼした『和田合戦』を描き。その時、門破りをして勇名をとどろかせた朝比奈義秀を、女性に置き換えて。『女舞鶴』、「舞鶴」は、朝比奈の紋。
初代若太夫が初演し、十代目も襲名披露狂言とした、『若太夫』ゆかりの演目なのです。
全5段、この『市若初陣の段』は、その3段目。
武道に優れた板額が守る、将軍源実朝の母の尼君(北条政子)の館。
その館に、実朝の妹斎姫を横恋慕の果てに殺害した荏柄平太の妻綱手と、息子公暁が、かくまわれて。
そこに、抜け駆けをした板額の息子の市若丸が来て、母子の再会。
しかし、市若丸が来たのには、その父、板額の夫である浅利与市の、ある考えが。
『お主のため』、我が子を身代わりにする物語のひとつ。
呂太夫改め十一代目若太夫が語り、三味線は清介。
人形役割
板額を、勘十郎。
夫の浅利与市を、玉志。
市若丸を、紋吉。
政子尼公を、簑二郎。
平太妻綱手を、紋臣。
公暁丸を、勘次郎。
板額の嘆き。その悲しみ。
それをこらえて、市若丸を死に至らしめなくてはならないつらさ。
次の演目は、
『近頃河原の達引』。
作者未詳。
天明2(1782)年、江戸の外記座で初演。
元禄の頃、京で起きたお俊と伝兵衛の心中事件。
そこに、四条河原での刃傷事件。
さらに、親孝行の猿回しが表彰された出来事を織り混ぜて。
堀川猿廻しの段と、道行涙の編笠。
この「道行涙の編笠」は、34年ぶりの上演とか。
井筒屋の伝兵衛による身請が決まった祇園の遊女おしゅん。
しかし、伝兵衛は、おしゅんに横恋慕する横淵官左衛門のたくらみに騙されて。そのいざこざのあげく、四条河原で、伝兵衛は官左衛門を殺害してしまい、追われる身となり。
堀川の、おしゅんの実家。
母や、兄の与次郎は、ふたりが心中するはないかと恐れ。
そこに、伝兵衛が訪ねて来て。
『堀川猿廻しの段』
前
織太夫と、藤蔵。
ツレ 清公。
切
錣太夫と、宗助。
ツレ 寛太郎。
『道行涙の編笠』
おしゅんを、三輪太夫。
伝兵衛を、小住太夫。
碩太夫。
三味線
團七、團吾、友之助、清允。
この狂言、伝兵衛とおしゅんを見送る時に、与次郎が、2匹の親子の猿を使って、猿廻しの芸を披露するのですが、それがなんとも哀切で。
人形役割
与次郎を、玉助。
おしゅんを、清十郎。
与次郎の母を、文司。井筒屋伝兵衛を、一輔。
稽古娘おつるを、玉路。
この日、10日は、9日に幕を開けた翌日。
回を重ねることで。
ただ、もともと、この『近頃河原の達引』、好きな演目ではないのです。
与次郎が、猿廻しの芸を披露し、親子の猿が一生懸命に動き、観客席は盛り上がるようなのですが。
いたいたしくて。
豊竹若太夫襲名披露。
10代目が、いかに豪放であったか、しばしば語られます。
生の舞台は知らず、映像を通してしか、その芸に触れてはいませんが、確かに。
ただ、今度の11代目は、人間関係を精緻に語っていくタイプではないかと思います。それを認め、それを楽しむことを心得ていかないと。